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「ぼく、みんなと走りたい!」 [感動]

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「ぼく、今度の運動会でみんなと走りたい!」

 小学校一年生の息子の翔がそういったとき、気持ちは理解できましたが、賛成はできませんでした。
 下肢障がいのため幼稚園にもいかず、家の中にこもりきりで外で遊ぶことも滅多になかった翔でしたが、小学校に入ったら友だちもできてやや活発になりました。でも親としてはその気持ちを受け入れることはできませんでした。

「いいのよ、翔くん。先生にはね、足が悪いから徒競走には出ませんといってあるんだから。翔くんはお遊戯だけ一生懸命にやろうね」
 と妻が優しく語りかけます。

 翔はうつむいたまま何もいいません。
「パパも会社休んで翔のアンパンマンダンス見にいくからね」
「みんなと走ってみたいのに」
 しくしく泣き出す翔でした。

 幼児の頃、翔の足に全く疑念がなかったといえばうそになります。自力で立てるようになった時期も世の中の平均水準よりかなり遅く、歩こうとしても左足をかばってすぐ転ぶのでした。二歳半になって、親の手に引かれながらゆっくり歩けるようになりましたが、両足が釣り合わない歩き方はなくなりませんでした。
「この子障がいじゃないかしら」
 と妻。日々心配を募らせています。
「医者は何といってる?」
「健診のときに相談したんだけど、現時点では断言できないって」
「歩行能力がつくのは個人差があるっていうじゃないか。もう少し様子を見よう」
 ある日妻が息子を抱いて不安そうに帰宅しました。二人で公園に遊びにいっていたようです。妻は真っ青な顔をしています。
「ぜったい変。この子障がいだと思うわ。だって同い年の子、ウサギみたいに走り回ってるのよ。どうして翔だけがよちよち歩きなの?」
 さっそく大学病院の専門医に診てもらいました。 
診断は妻の予想通りでした。左足に先天性の下肢障がいがあるらしいのです。訓練次第でゆっくり歩いたり走ったりはできるようになりますが、左足をかばうような動作は一生なくならないといわれました。
翔が満三歳の誕生日を迎えてすぐのことでした。

 それから専門の施設に通いながら訓練する日々が始まりました。医者のいったとおり、翔は少しずつですが自力で歩けるようにはなりました。
 でも、幼稚園には入園させないことにしました。あまりに残酷だと妻がいうのです。みんなと同じように飛んだりはねたりできない体で幼稚園に通うのは地獄に等しいと。
「でも保育士の先生がついてるじゃないか」
「わからないわ。入園を拒否されるかもしれないし。それに私だってつらいわよ。健常者の母親の中で」
 その頃の妻は、ややヒステリックになっていました。園児たちの翔への視線だけでなくて、自分への視線も気になるようでした。
 結局幼稚園にはいかず、家の中で妻と遊ぶか、表に出ても車で遠出して見知らぬ町の公園で砂遊びをする程度でした。

 でも、さすがと小学校を避けるわけにはいかず、近所の公立小学校に入学しました。送り迎えは妻がおこない、登校班には加わりませんでした。翔は学校に着いてもおどおどして妻にくっついたままで、離そうとすると泣きだすこともあり、担任の先生がなだめるのに苦労したようです。
 その翔が変わったのは夏頃でした。
ある朝、同じマンションに住む同級生の男の子が
「翔くんといっしょにいきたい」
と誘いにきてくれたのです。とまどい気味の翔でしたが、初めて母親から離れ、登校班に加わったのです。もちろん歩くスピードはみんなよりかなり遅いです。でも友だちは同じスピードで歩いてくれました。上級生も、心なしかゆっくり歩いてくれているように見えました。
翔は日々明るくなっていきました。目に見えて変わったのです。

 ですから翔が「みんなと走りたい」といったとき、その気持ちは理解できたのです。でも、一緒に走ったところでビリになって本人が傷つくのは目に見えています。そんな思いをさせたくないし、親としてもそんな息子を見たくなかったのです。
 でも翔はあきらめませんでした。先生にも走りたいと打ち明けたようで、担任の先生からも自宅に電話がありました。
「走ることで肉体的に支障が出ないのであれば、ご本人の気持ちを尊重してあげてはいかがですか」
 妻も私も同意しました。


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 そして運動会当日。
一年生の徒競走が始まりました。
よく晴れた秋の日で、軽快なBGMと放送委員の児童の声、そして子供たちの喚声でもりあがっていました。同級生の親たちは我が子の姿をビデオにおさめようとやっきになっています。そういう空気の中にいると、翔が走る時間が迫るのが怖くてしかたありません。

−できれば走らないでほしい。怖じ気づいてくれないだろうか−
 なんて考える私がいました。

ついに翔の番です。
5人並んだスタートラインの一番隅っこに翔がいました。
左足をかばうように立っている翔は、ほかの子の見よう見まねで、両手を構えて片足を引き、走り出す姿勢に構えていました。でもその姿は様になっておらず不自然でした。みんなのまねをすればするほど無力に見えて、かわいそうでした。
「バン!」
 と音がして子供たちが走り出し、喚声が起こりました。
ほかの子たちはあっという間に翔を引き離し、ゴールしました。

 翔は左足を引きずり引きずり、まだトラックの真ん中あたりにいます。緊張からか足取りもぎこちなく、普段より遅い印象もありましたが、普段よりも必死でした。口を開けて顔を真っ赤にして、真剣な目で前を向いてゆっくり足を回転させています。

見ていられませんでした。
それはすでに徒競走ではなく、見せ物にすら思えました。
人はきっと翔のことを好奇な目で見ていることでしょう。

「翔・・・もうやめていいのよ!」
 妻が両手を口に当てました。

そのときです。
子供たちの喚声が一段と大きくなったのです。

「翔くん、がんばれえ!」
「翔くん、強いぞ!」
「もう少しだぞ!がんばれえ!」 

翔の目が光りました。
そのいたいけな目は、ゴールで待っている友だちの顔をまっすぐ見ていました。そして転がるようにゴールしました。みんなの喚声と拍手が翔を迎えました。荒い息でとてもつらそうでしたが、走り抜いた充実感にあふれていました。

私、泣きました。
翔のことで初めて涙をこぼした瞬間でした。

さまざまな心配は、親のエゴだったのかもしれませんね。
翔はあの小さな体で、自分なりに生きる力を身につけようとしているのです。これからは翔の意志を尊重し、自由に伸び伸びと歩かせてあげたいと思っています。


徒競走.jpeg


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タグ:感動 親子
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