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人身事故のあと [感動]

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僕は電車に飛び込んで死のうとした人を救ったことがあります。

未然に防ぐことはできませんでしたが、命を落とすという最悪の事態は避けられました。

そのときの話を書きたいと思います。
事故の様子と、その後の当事者の様子など。

ところで僕は救急救命士でもなく、鉄道警察官でもありません。
ただのサラリーマンです。
その日も仕事を終え、JRのとある駅で別の電車に乗り換えようとしていました。

秋の夕方でした。月曜日だったと記憶しています。
僕は得意先を訪問し商談をまとめ、そのまま直帰していました。

いつもはもっと遅い時間に帰るので、その時間帯の電車に乗るのは初めてだったかもしれません。
17時30分を過ぎたばかりなので、空いているかと思いきやけっこうな混雑。空いた電車が来るのを待っていました。その日面会したクライアントは少々面倒な人で、妙に気持ちがへこんでいたのです。なるべく空いた電車に乗りたいと考えていました。
下り電車が来てベンチがあいたので、その席に座りました。

乗り換え駅なので、多くのお客さんが降りたり乗ったりします。
そんな中、少し離れた自動販売機の前で、僕と同じように電車を何本も見過ごしている若い男性がいました。

当時僕は26歳でしたが、僕より5〜6歳は若く見えましたから20歳そこそこの青年でした。
学生だったかもしれません。

見るからに異様でした。

立った状態で電車を見てはいますが、まったく別のものを見ているような雰囲気でした。瞬きせず、少々うつむき加減に、その眼はじっと線路、あるいは電車の下の方を見ていました。

これから電車に乗ろうとする人間の目ではありません。
昨日、今日、そして明日と、人は時間の連続の中で生きていますが、彼にはそういった時間的感覚がないような印象も受けました。時間から切り離されて、そこにぽつんと存在しているという印象です。

誰も彼のことを気にはしていません。
しかしその存在に気づいた僕は気にせずにいられませんでした。
彼がこの後何をするのか、それを見届けなければ電車には乗れないと思いました。

好奇心もあったかもしれません。
怖いもの見たさもあったかもしれません。
でも異常な事態が起きることを期待してはいませんでした。
彼が何事もなく普通に電車乗ってくれたら、あるいはホームを去ってくれたらそれが一番いい結末だと考えていました。

その彼が行動に出たのは数分後です。

彼の表情が一気に変わったのです。
それはとても複雑な表情でした。
怒りが最高潮に達して暴力行為に走る瞬間の、カミソリのような冷たい目。その一方で、ふーっと肩の荷を下ろしたような安らかな目。僕はその両方の目を同時に見ました。

彼は電車が近づいてくる音を追い求めるようにふらふら歩き、人を押しのけて前方に進みました。彼の目標は明らかに電車でした。

(飛び込む気だな)

(やめさせなければ)

もちろん彼の人生に関心はありません。
彼がどこで何をしようと、死のうが生きようが僕の生活には何の関係もありません。でもここで死なれるのは嫌だと思いました。電車も運転見合わせになるし、そもそも死のうとしている人間をそのまま放置して死なせてしまうなんて、絶対後味が悪いと思ったのです。

僕も一緒に走りました。
彼を目指して人にぶつかりながら走りました。

電車がけたたましく走ってきます。

「やめろ!」

彼の腕をつかみました。

バン!

鈍い音がして彼は跳ね飛ばされ、ホームにひっくりかえりました。

女性の悲鳴がしました。
彼のそばから人がさーっと引きました。

非常ボタンが押され、不気味な音が駅構内に流れました。
駅員や警察官が走ってきました。


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「大丈夫ですかあ?・・・聞こえますかあ?」
 駅員が彼に大声をかけます。

意識はあったようです。
うつろな目を駅員に向けていました。

電車は人身事故で運転見合わせになりました。

僕も事故に関わったとして、警察官に事情を聞かれましたが、目撃者も大勢いて僕が彼の自殺をやめさせようとしたことがすぐに立証されました。
「勇気あるご協力、ありがとうごさいました」
と最後に駅員が頭を下げました。
やがて彼は担架に乗せられ、ホームから消えました。

一か月後。

彼から手紙が届きました。

------------------------------------------------------------------
命を助けてくれてありがとうございます。
頭蓋骨と手の指二本の骨折で済みました。

つきましては、一度お会いしたいです。
母もお礼がしたいと言っています。

お手数ですが、会っていただけるかどうか
取り急ぎ返信いただけると助かります。
------------------------------------------------------------------

そんな内容の手紙でした。
手紙の最後に本人と母親のメアドが書かれていました。
字体から真面目な性格がうかがえました。

僕は本人のメアドに
「お会いすることは差し支えありません。日曜日ならば何時でもいいので、そちらの都合に合わせます」
と送りました。

日曜日の午後二時、彼の病室を訪問しました。

頭と手に包帯をして寝ていました。

表情は静かでした。
あの駅で見せた形相は微塵もありませんでした。

母親は何度も頭を下げ、僕に感謝の言葉を述べました。
ほとんど謝罪しているような感じでした。
彼が加害者で僕が被害者であるかのような。・・・

彼も寝たまま
「すみませんでした。ご迷惑かけました」
と言いました。

「お元気そうで何よりです」

母親が差し出した椅子に腰かけました。
命を救ったとはいえ、赤の他人。
彼が何をしている人か、どんな悩みや障害を抱えているのか全く分からない赤の他人。

わかっているのは、21歳の会社員であること。
そして名前。
これだけです。

彼にどんな声をかければいいのか、まったく見当が付きませんが、ひとつだけ聞いておきたいことがありました。

−もう、死ぬ気はないのか−

命を救ったのですから、聞く権利が僕にあるように思います。
でも露骨には聞けないので、言葉を変えようと思いました。
お湯を取りに母親が席をはずしたところで、こう聞きました。

「これから、ちゃんと生きていけますか」

「わかりません」

少し間を置いて、そう答えました。

「命を粗末にしないほうがいいですよ」
 思わずそう言いましたが、電車に飛び込もうとする人にとっては、何の説得力もない貧相なせりふだったでしょうね。彼の返した言葉がそれを物語っています。

「命を助けてくれたのは感謝していますが、あなたには僕の気持ちはわからないと思います」

それから彼とはほとんど会話しませんでした。
母親が淹れた紅茶を飲み、適当なころあいを見て病室を出ました。

彼の人生に関心はありませんでした。
どうでもいいと思いました。
もしかしたら、また同じようなことを繰り返すかもしれないな、と考えたりしました。

それから半年ほどして、彼の母親からメールが来ました。

「先月まで介護の仕事をしていましたが、今はスポーツジムで働いています。高校生の頃水泳をやっていたので、水泳のインストラクターを目指すそうです。本人も、なんとか生きています。・・・」

そんな内容でした。

−なんとか生きています−

なぜかわかりませんが、嬉しかったです。
関心はなく、ほとんど忘れていたというのに、その知らせを聞いてほっとしたのが自分でも不思議でした。

人が生きていることを知って安堵するなんて、あまりないですよね。
初めての経験でした。


電車.jpg


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