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洗濯物たたみ当番に立候補したおやじ [感動]

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「パパにも何か家のお手伝いしてもらわないとね」

子供たちが少し離れたところで遊びだすと、妻が食洗機に皿を並べながら、釘をさすようにそう言った。

「俺は仕事してるし」
 と晩酌のウイスキーの残りを一気に飲み干して軽くげっぷする。

「私だって家事してるわ。美代も学校行ってるし、さよりも幼稚園行ってる。みんなそれぞれ抱えてるのよ」

さっき妻は小学校4年の長女美代にお風呂の掃除当番を命じた。みんなで家のことをやろう、というスローガンを華々しく掲げたのだ。家の仕事をするのは母親だけ、という意識を持たせるのは子供たちに良くないというのが妻の持論だ。

「さよりは何もしてないじゃないか」
「さよちゃんはまだ5歳だから。でも、そのうち何かさせるわ」

妻が言うには、父親もその例外ではないらしい。父親だって家事の一翼を担う存在であることを示すべき。勤めから戻ったらお酒飲んでテレビ観てごろごろしている従来の日本のパパ像は子供の教育に悪い。
「父親も家のことを手伝って当たり前。そういうイメージをあの子たちに植え付けたいのよ」
「何をすればいいんだ」
 また面倒くさいことを言いだしたなと思い、ぶっきらぼうに言った。

「・・・さあね。何がいいかしら」

そうは言ったものの、さあてこの人に何ができるのかしら、みたいな表情をして食洗機のスイッチを入れた。

他のサラリーマンおやじもおそらく同じことを考えていると思うが、私は、会社から戻ったらその日の仕事は完結したと思っている。

今日も会社で痛い目に遭ってきたんだ。せめて家の中ではゆっくりさせてくれ。俺様は稼ぎ頭だから帰宅後はゆっくり寛ぐ権利がある。

これが私の本音だし、多くのおやじの気持ちを代弁していると思う。会社から戻って家事を手伝うなど考えたこともない。もちろん妻がフルタイムで働いているのなら話は別だが妻は家にいる。妻の仕事は家事なのだ。その家事を妻以外の家族で分担するなど、役割放棄ではないか。

2杯目の水割りを作ると、新聞を広げ、ピーナッツをかじった。
妻はキッチンの電気を消すと、居間に放置された洗濯物をたたみ出した。

その姿を見ながらさっきの会話を思いだした。

一理あると思った。

子供たちのためにも父親が家事をする姿を見せる。
わからなくもない。
情操教育というほど大袈裟ではないが、家事をする父親の背中は、子供たちにとって、ひょっとしたら「かっこよく」見えたりするかもしれない。
でも私に何ができるのか。
妻が考えて思いつかないのだから、私に思いつくわけがない。

その日はそれで終わった。

お風呂掃除のプロセスには何段階もあるらしい。
湯船の中、床、カバー、シャンプーや石鹸がおいてある棚、トレイにいたるまで、妻が確立した清掃手順がある。
美代はそれを母親から指導され、毎日こなしている模様だ。

休日など、作業を終えてバスルームから出てくる美代は、どことなく鼻高々に見えた。

「あ、終わったの?美代ちゃんありがとう」
 と妻が明るく声をかける。

「ああ、大変だったな」
と手を拭きながら私を乾いた目で見る。

仕事を終えた達成感と、遊んでいる人間に対する優越感。
妻のいっていることが何となくわかる。
父親だけがぶらぶらしているのはお手伝い熱心な子供に良くない。

何か探さないと。

居間に放置されてある洗濯物が目に付いた。
妻は一日の最後に洗濯物をたたむ。
タオル、ハンカチ、靴下、子供たちの服、父親のワイシャツ、下着。
それらを手際よくたたみ、所定の場所に格納する。

これならできるかもしれない。
慣れてはいないが、要するにたためばいいのだ。
たたみ終わったら、それをしまえばいい。
面倒なのは洗濯物ハンガーから取り外すことくらいで、あとはきわめて単純な作業。

ある休日の夕飯の前、私はあえて「洗濯物をたたむことにした」とは言わずに、
さりげなくその仕事に着手した。
当然のように(さりげなく)手伝う方が子供たちのためにもいいと思ったのだ。
仕事は10分ほどで済んだ。

でも妻は無言だった。
その一部始終を見ていたくせに、何も言ってくれなかった。
やって当然、なのだろうか。


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何となく、自己主張してみたくなる。
本当は
「洗濯物たたんだぞ!」
と言いたいところだが、言葉を変えた。

「美代の下着さ、2番目の引き出しに入れたんだけど、よかったかな」

妻は子供用のタンスをちらっと見ると、
「だいじょうぶ」
と答えた。

かくして洗濯物たたみは、暗黙の了解で私の当番になった。
会社から戻って居間の片隅を見ると、洗濯物の山がある。
バルコニーから取り込んだままの姿で、私を待っている。

夕飯のあと、片づける。
しかし、誰も何も言わない。

あまりに冷たくないか?と思ったりする。
何か言うべきではないか。

「パパありがとう」
「助かるわ」

その一言がほしい。
妻でなくてもいい。美代でもいい。何か言ってほしい。

一度仕事を放棄して何もしなかったことがあったが、洗濯物が翌朝まで放置されたのには驚いた。
洗濯物たたみは、完全に私の責任下におかれていることに気づいた。
と同時に、言いようのない孤独を知った。
たたんでしまうだけの単純な作業だが、それは私にとってきわめて孤独な作業だった。

しかし、その孤独な努力が報われる瞬間がきた。

ある日曜日の夕方、いつものように黙々と洗濯物をたたんでいたら、
ミニカーで遊んでいたさよりがばたばたと走ってきて

「パパ、あたしもやる」

と言ったのだ。
そのとき、何か温かいものに包まれた気がした。

さよりは何分もかけて一枚のタオルをたたんだ。
たたんでは広げ、丁寧に引き延ばし、またたたむ。
それはほとんど遊びの域だった。
彼女にはミニカーとタオルが同じ次元に見えていただろう。

でも、嬉しかった。

妻の言いたかったのはこのことなのかもしれない。
当たり前のように、みんなで家事を手伝う。
すると自然に和ができる。
家族にしかない強調の和ができる。
これが子供たちにとっていいのだ。

ウイスキー飲みながらぼさっとしている男が一人でもいると、その理想が実現できない。
わかる気もする。

妻がゆっくり歩いてきてしゃがみこむと、
「さよちゃん、えらいわね。ありがとう」
と言った。

私には何も言わなかった。

また一瞬孤独に押し戻された気がしたが、
これでいいのだ、と思い、

「さより、ありがとう。助かるよ」

と言ってあげた。

そう言えた自分が、かっこいいと思った。


洗濯物.jpg


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