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父の形見 [感動]

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バスケの部活を休んでごろごろしている息子の啓太に文句を言った。

「バスケやった方が体もしゃんとするんじゃないか」

息子は何も答えない。
夏風邪だと言ってバスケ部の練習を休み、寝転がってゲームに興じている。

「何とか言え」
「お父さんだって休んでんじゃん」
「お父さん、夏休みだ」
「僕だって基本夏休みだよ」

「そんなこともあるわよ。それに本当に夏風邪だったら大変よ。なかなか治らないし」
 と妻が啓太の朝食を片づけだした。
「本当に朝ご飯いらないのね」

「いらない」
「しょうもない奴だ。いいか、男ってのはな・・・」
「あなた、もういいじゃない」

いいか、男ってのはな。・・・

言葉につまったのは妻に止められたからだけではない。
亡き父のことを思い出したのだ。

−俺の口からこの言葉が出るとはな−

苦笑いした。

それから私はあることを思いだし、書斎に入って机の三段目の引き出しを開けた。久しぶりに取り出したその茶色の封筒は、表面がカサカサになっていた。もうどのくらいこうやって保存しているだろう。
三十年以上はたつかもしれない。

中に入っているものを取り出した。
黒ぶちのメガネだった。

しっかりしたフレームのメガネで、ほとんど痛んでいないどころか、光沢さえ残っている。度が強く、まるで虫眼鏡だ。

それは父のメガネだった。
あのことがあってからずっと保存している。
いや保存しているというより、隠しているといったほうが正しい。

メガネのフレームをこすりながら、記憶をだどった。

父は昔風の人間だった。
曲がったことを許さず、弱音を吐く男を嫌った。
また男が女っぽいことをすることを嫌った。
私は小学4年生の頃音楽に関心を持ち、ピアノを習いたいと母に願い出たが父が怖い顔をした。

「何バカなことを言っとるか。ピアノは女がやるもんだ」
「でも翔ちゃんもピアノ習ってるよ」
「そいつは女なんだろう、男の格好をした女だ」

今から考えると異常な偏見の持ち主だと思うが、当時の父はそんなことを平気で豪語する人物だった。

「何か習いたいんなら剣道をやれ。男は剣道だ」
 自衛官の父は剣道三段、柔道二段だった。

私は剣道を習わされた。

正直、面白くなかった。
その剣道を習っていた時期は、私の半生のうちでもっとも屈辱的で苦痛にみちた時期だったと思う。暑い夏、臭い剣道着や重い防具を身につけて奇声を上げ、竹刀を振り回して走り回る。相手の頭を打ち、腹をたたく。剣道を愛する人には申し訳ないが、これが何の役にたつのかと当時の私はまじめに思った。

何度か稽古を休んだことがある。
「おなかが痛いから」

そのたびに父のカミナリが落ちた。父は仮病を見抜き、私を正座させた。
「辛いことに背中を向けていいのか」
 私は涙ぐんだ。剣道のことを考えるとめまいがしそうだった。

「いいか、男ってのはな・・・」

男談義をえんえんと聞かされた。
戦前の兵隊の話すら持ち出した。
大和魂という言葉を覚えたのもそのときだった。

中学校に入ったら剣道はやめたが、成績のことや服装、髪型のことでやいのやいの言われた。我が家では母より父のほうが私を叱っていたと思う。反抗期でもあったし、父と何度もぶつかった。

父に戦いを挑もうとしたことがあった。
が、剣道三段、柔道二段の強者とまともに戦えるとは思えない。
 
私が選んだ攻撃は、メガネを隠すことだった。

父はひどい近眼で、メガネがないと何もできなかった。
そこに目を付け、ひとつ困らせてやろうと思ったのだ。


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酒を飲んで帰ってきた父が風呂を浴びているすきにメガネを盗み、部屋に戻って学生鞄の中にほうりこんだ。そして母親におやすみと告げて布団の中に潜り込んだ、

居間の方からあわただしく歩き回る両親の足音とせわしい会話が聞こえてくる。

「この辺においてたんだが」
「酒場に忘れて来たんじゃありませんか」
「バカ言え。メガネなしで帰ってこれるか」
「そりゃそうですわね」
 母は笑っていた。
 そのうち出てくるに決まってる、みたいなのんびりした笑いだった。

だがメガネが出てくるわけがなかった。
「周一、わしのメガネ知らんか」
翌朝、父が私に問うた。

「知らないよ。父さんのメガネなんか興味ないもん」
 朝ご飯のトーストをかじりながら、そう平然と嘘をついた。

「そうか」

 僕はそのまま学校に行ったが、父は仕事を休んだらしい。メガネがないと何もできないからと、母と二人で馴染みのメガネ屋に行って、とりあえず自分の目に合う代用のメガネを借りてきたようだ。メガネが見つかるまでは、これで日々をしのぐと言っていた。
だが見つからないので、父は新しくメガネを作ることにした。

当時、銀ぶちのメガネがはやっていた。有名人や、町をゆくおしゃれな男女はみんな銀ぶちをかけていた。ある休みの日、メガネ屋から帰ってきた父は、銀ぶちのメガネをしていた。

「周一、どうだ。似合うか」

それは父ではなかった。
まったくの別人に見えた。

「わからないけど、別の人に見える」
「そうか。俺もイメチェンだな。ははは」
 豪快に笑った。

父は凄まじい眼力の持ち主だ。
あるいは私が犯人だと見抜いていたかもしれない。
だが父は私に疑いの目を向けなかった。

「何かと一緒に捨てたことにしておこう」

母にはそう言っていた。

銀ぶちメガネのせいで父が別人のようになると、不思議と父への反抗心が薄れた。それにメガネを隠し持っているという罪悪感もあり、父と露骨に対峙することを避けた。悪く言えば無視、よく言えば従順だった。
隠しているメガネをどうするかという問題が残っていたが、新調したメガネが気に入っている風でもあったし、そのまま隠し通すことに決めた。

あのメガネ事件を機に、父と私の距離は大きく開いた気がする。
あれをきっかけに父は一気に歳をとり、私は大人になったのかもしれない。

その父も6年前に他界した。

父は不治の病でずっと床にふしていたが、ある日今晩が峠だと医者から告げられた。

私は妻と啓太を連れて父の床を訪れた。
痩せ細り、しわくちゃになった父に過去の威勢はみじんもなかった。すでにメガネの役目も終わっていた。ものをじっくり見る必要がなかった。

父が少し目を開けた。
とろんとした眼光がこっちを向いた。

「周一か」
「父さん、見えるのか」
「息子じゃないか。見えなくても雰囲気でわかる」
「そうなんだ」
「しっかりやれよ」

会話はそれだけだった。
父は大きく息を吸い、この世を去った。

黒ぶちメガネをそっとかけて書斎のあちこちを見た。
気分が悪くなりそうな度数だった。
父はこんなメガネをかけていたのか。

そのとき妻が書斎に入ってきた。

「あなた・・・やだ!・・・そっくり」
 メガネをはずして妻を見た。
「何が」
「お父様にそっくりだったから」
「そうか」
「うりふたつじゃない。やっぱり親子ね。それ、お父様のメガネ?」
「今となっては形見みたいなもんかな」
「そう。そんなメガネしてらしたのね」
「何か用か」
「あ。啓太、やっぱり熱があるのよ。今から病院に行ってくるわね」

 そそくさと階段を下りていった。

−おやじにそっくりか−

もう一度かけてみた。
父の眼力はこの度数のおかげで成り立っていたのではないかと思った。
父は父なりにこのメガネでいろんなものをしっかりと見ていたのだろう。
もちろん私のことも。

啓太が帰ってきたら気の利いた言葉の一つでもかけてやるかと思い、
父の形見を茶封筒に入れた。


黒ぶちメガネ.jpg


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