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老人ホームへのボランティア [感動]

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私たちは、いわゆる「戦争を知らない世代」と言われています。
生まれたときからなんでも身の回りに揃っていて、何不自由なくここまで過ごして来ることができました。
どうにも出来ないような天災を除き、個人的な不運やトラブル、ちょっとした小さな幸せに一喜一憂し、時には「私って駄目な人間だ」「私には何もないんだ」なんていうセンチメンタルな気持ちに悩んだこともあますが、総じて「幸せ」な日々を過ごして来ることができたと思っています。


ただ、そんな毎日を送れること、当たり前のように明日がくるということが、実は誰かの犠牲の積み重ねの上にあるのだと言うことも確かなのではないでしょうか。


まだ私が学生だった頃、学校の課外活動の一環として老人ホームへの慰問やボランティアにお邪魔する機会が多くありました。
小さい頃からおじいちゃん、おばあちゃん子だった私ですが、老人ホームのあの独特の雰囲気や匂い、なんとなく自分たちの過ごす日常とはかけ離れた世界のような印象を受け、その活動があまり得意とは言えませんでした。


学生の私たちに出来ることと言えば、施設内のちょっとした掃除や洗濯の手伝い、そして、入居者たちの話し相手になることでした。
掃除や洗濯なんかはいくらでも出来ましたが、入居者たちを相手に過ごす時間は私にとってとても苦痛でした。
まともに会話が成り立つ相手ではあるのですが、どうしても同じ話の繰り返しだったり、急に感極まって泣き出してしまわれたりするとどうしていいかまったく分からずパニックです。

特に困ってしまったのが、「戦争」の話をされたときです。

テレビの再現ドラマや、毎年終戦記念日になると組まれる特番で何度か見たことがあるので、戦争の悲惨さや恐ろしさ、そういったことに対しては私なりに理解しているつもりでした。
しかし、実際に経験した人から当時の話を聞くと、なんだか分からないけれど「違和感」を感じてしまうのです。
このおじいちゃんがそんな勇ましいことを?と、どうしても結びつかないのです。

今、こうして誰かの手を借りなければ身の回りのことが出来ない人たちが、本当に…と。
きっと、心のどこかで私はひとつの「物語」のように受け取ってしまっていた部分があるのだと、今にして思います。


そんなある時、私たち学生は、入居者の方々、スタッフの方々に向けて歌の発表をする機会を設けてもらいました。
話し相手になるよりはこちらのほうが気が楽だと思い、その日は随分リラックスして参加することが出来た私。
家に帰ったらあのテレビ番組を見ることができる、なんてのんきに考えていました。

私たちが歌ったのは、誰もが口ずさめるような童謡です。
入居者の多くが手拍子をしながら聴いてくれていましたが、ある人が途中から歌を口ずさみながら涙を流していることに気が付きました。
周りをよく見ると、そのような人がたくさんいるのです。
またいつものように何か思い出したのだろう、いつものことだ…と思っていました。


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けれども、その施設からの帰り道で、同行していた先生からこんな話を聞きました。
泣いている入居者の中でひとり、違った意味で泣いていた方がいたのだということ。

多くの人が昔を懐かしみ、思い出し、切なくなって泣いている中、その人だけは私たち学生に対して「悔しい」という想いを抱いて泣いていたのだのというのです。

自分の子供が生きられなかった年月を生きている私たちに対する悔しさ。
歌を歌うことさえも注意されていたあの頃、歌は何よりも自分の支えだった。

その大切な歌を、何の気持ちも込めずに歌う私たちへの怒り。
その方は気が付いていたのだそうです。
私たち学生の多くが、「仕方なしにボランティアに来ている」という事実に。

そして、もしこれからもそんな気持ちなら、もう二度と来ないで欲しいと、何度も何度も先生とスタッフの皆さんに掛け合っていたのだそうです。


そのことを聞いて、私は心底恥ずかしい気持ちになりました。

すべて見抜かれていたのです。
二度と来ないで欲しいと拒否までされたのです。


私たち学生の多くが、そのことを聞いてとても深く反省しました。
気持ちを入れ替える必要性を、素直に感じたのです。


その後も私たちは慰問を続けましたが、今までとは違う気持ちでその施設を訪れるようになりました。
私たちに対してどの方が悔しい想いを抱いたのか、それは特定することは出来ません。

ですが、誰に対してもそれまでのようないい加減な気持ちで接することはなくなりました。
すると、不思議なことに、今までわずらわしいと感じていた様々なことがとても暖かく感じられるようになったのです。

手を握られれば嬉しいと思い、泣いている方を見ると胸がきゅっと痛みました。
それは同情ではなく、心が近付いた証拠なのだと、先生は私たちに教えてくれました。


この人たちが居たから今の私たちが生きているんだということ。
感謝や敬意、そして、どんなに歳をとって行動がのんびりになってしまっても、尊敬の気持ちを持って接することの大切さは、一緒に過ごしてみなければわからないことなのかもしれません。


老人ホーム.jpg


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