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雨上がり [感動]

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雨上がり。

一般的にこの言葉の響きはとても美しく、気分も晴々としてくるものですが、
わが家ではちょっと不快に聞こえます。

それは、父の折りたたみ傘の匂いのせいです。

部屋中にムワッとただようその傘の匂いは悪臭以外の何でもありません。
年の功なのか母はあまり深刻に受け止めていないようですが、17歳になったばかりの女子高生の私は生理的に受け付けられません。

タイミングが合えばベランダに干せますが、雨続きの場合など部屋の中に平気で干されるのです。それが苦痛で仕方ありません。

「居間じゃなくて別の部屋に干すからいいでしょ?」

と母が言いますが、そういう問題じゃありません。
父の傘がこのマンションの部屋のどこかに干してあると考えるだけで気分が悪くなるのです。

ちなみに父はジャンプ傘を持っていません。
折りたたみ傘一本の人です。
どんなに雨風が強くても、愛用(?)の折りたたみ傘でしのぐのです。
だいぶガタがきているようですが、差し方が上手なのか、なかなか壊れません。
今の傘はかれこれ7年ほど使っているのではないかと思います。

折りたたみ傘しか持たないのは、普通の傘の場合雨上がりにかさばるからです。
折りたたみ傘だと用が済んだら閉じてカバンの中に入れられます。
雨の朝、父は傘を差して駅まで行くと、構内を歩きながら傘の水を切って急いでたたみ、ビニール袋に入れてカバンにしまうそうです。
そして駅に着くとまた取り出して使い、会社に着いたらまたビニール袋に入れます。

こんな風に一本の折りたたみ傘を使い続ける父。
マメなのか面倒くさがりやなのかよくわかりません。

でも、ときどきビニール袋に入れたまま2日くらいそのままにしてることもあります。
その場合雑菌が面白いように増殖し、強烈な匂いを放ちます。
こまめに干したり、中性洗剤で洗ったりケアすれば匂いは抑えられるのですが、
そんなこと考えてもいないようです。

ある土曜日の午前中のことでした。

昨晩まで降っていた雨も上がり、朝から気持ちよい秋の風が吹いていました。台風が近づいていますが、今日は雨にならないという予報でした。

ふとベランダを見ると、家族三人の傘が並んで干してあります。
母が洗濯ものを干すときに一緒に並べたのでしょうね。

左から母のピンク、私のお気に入りのエメラルドグリーン、そして父の黒です。

−ちょっと待って。私の傘の横にお父さんの傘?・・・やめて−

母も私も昨晩から玄関の外に傘を出していましたが、
父は今朝になってカバンの中から傘を取り出したのです。
休日出勤で会社にいく直前でした。

「今日は雨にならないから傘置いて行くよ」
と母にその「汚物」を手渡したのです。

あの傘は大変なことになっていると思われます。
母はよくあの物体を素手でつかめるものだと不思議に思いました。

その父の傘の横に私の傘が並んでいます。


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やめてよ。
匂いが移るじゃない。

父の傘を干す場所を変えたい。

でも露骨には言いにくい。

私はあたりさわりのない理由を考えて母に提案しました。

「お父さんの傘さ、大きいし匂いもきついからもっと広々としたところで干した方がいいと思うんだけど」
「いいわよ、別の場所に移しても」

台所でキッチンを磨く母が、私の顔を見ずにそう答えました。

「じゃあそうするね」
「あ、ちょっと待って」

母がやっと私を見ました。

「傘と手すりを紐で結んでるから注意して」

母は接近してくる台風を気にしているのでした。

「午後から風が強くなるみたいなのよ」
「わかった」

ベランダに出ると、息を止めて父の傘の紐をとき、ベランダの隅っこに移動しました。
ストラップは面影もなく金具も残っておらず、通し穴がむなしくあいていました。
先端の石突のキャップは外れ、金属が剥きだしています。
親骨をささえる受骨が変形しています。
傘袋はどこに行ったのでしょう。

まあいいや。
横を向いて少し息継ぎをして、また呼吸を止めました。

隅っこだから風が吹いても動けないから飛ばされることはないだろうと思い、
紐で固定しませんでした。
それに、強風になる前に取り込めばいいのです。

お昼ご飯を済ませると、母はパートタイムの仕事に出かけて行きました。
「洗濯物と傘、早めに取り込んでね。風が来るからね」
「はあい」

私は食器を片付けて、勉強です。
試験が近いので頑張らないと。

家の中に一人しかいないので集中できました。
一心不乱という言葉がありますが、その言葉通りでした。

「あっ!しまった」

気が付くと、窓の外は強風です。
午後から一気に天候が急変したようです。
雨は降っていませんが、とにかく風がすごいです。

急いでベランダに行きました。

洗濯物たちは、まるで船の旗のように横にたなびいていました。
母と私の傘も、浮かんだり落下したり、まるで生きもののように騒いでいました。

急いで取り込みました。
洗濯物、傘ともに無事でした。

でも父の傘が見あたりません。

「しまったあ・・・飛んで行っちゃったかも!」

ここは6階です。
どこに飛んで行ったか見当もつきません。

外に出て探しました。
強風の中、長い髪を振り乱しながら、父の傘を探して歩きまわりました。
傘は2棟先のマンションの駐車場で見つかりました。
捜索開始から30分後のことです。
駐車場の金網に引っかかり、風にもがきながらガタガタ震えていました。
「よかった・・・いた」

臭いは既に消えていましたが、泥だらけでした。
水洗いしてもう一度干す必要がありそうです。
私は歩きながら傘を閉じました。

そのとき気づいたのですが、中軸が完全に元にもどらず、露先を微妙に収納できないのでした。
風で飛ばされてこうなったとは考えにくいので、以前からあった症状だと思いました。

−こんな傘使ってたなんて。7年も−

そう言えば以前母が言ったことがあります。

「志乃ちゃん私立行くから家計を切り詰めます。お父さんの経費は削減させていただきます。下着とか靴下とか」

傘なんて買ってもらえるわけがない。
下着すら買ってもらえないのだから。

お父さんのせいじゃない。
この傘の臭い。

「志乃がこんなことしてくれるとは思わなかったな」
 と照れくさそうに笑う父。

今日は11月7日。
父の誕生日です。

貯めたお小遣いを取り崩して、父に折りたたみ傘をプレゼントしたのでした。

「初めてじゃないか?志乃からのプレゼント」
「大切に使ってね。それと、使ったら必ず中性洗剤で洗って太陽の下で干すこと」
「了解了解!」

雨上がり。

ベランダに傘が並んでいます。

左からピンク、エメラルドグリーン、そして新入りの紺です。
仲良く並んでいました。


折りたたみ傘.jpg


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赤いランドセル [感動]

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娘の沙紀が結婚して家を出たので、娘の持ち物をすべて処分した。

遥か遠い国の男性に嫁ぎ、もう二度とここにもどらないと沙紀は言った。
だから残しておいてもしかたないので、何もかも捨てた。
沙紀の洋服、アクセサリー、靴、学習机、勉強道具、セーラー服、晴れ着、そして赤いランドセル。

これで沙紀の思い出はすべて消えてしまう。

これでいいのだ。

沙紀はこれで安心して遥か遠い国に旅立てるだろう。
そして私たちも、やっと沙紀を卒業できるだろう。

沙紀は幼稚園の年長さんになってすぐ、交通事故でこの世を去った。
横断歩道を手を上げて渡っていた沙紀に、ダンプカーが気づくのが遅れた。
運転手は事故当時も事故の後も誠意を持って対応してくれたが、沙紀は戻らなかった。

「お金も謝罪もいらない。とにかく沙紀を返してくれ!沙紀を返してくれたらそれでいい」

その25歳の青年に何度かみついたことか。
肩をつかんで揺さぶったことか。

でも沙紀は戻らなかった。

この世でもっとも大切なものを喪った日々が始まった。

妻はもともと明るく溌剌とした気性の持ち主だったが、沙紀が他界してからは、一人でつくねんとしていることが多かった。

私が会社から帰っても部屋は暗く、食事の用意もしていなかった。
沙紀のお気に入りのおもちゃを床に並べ、まばたきもせずそれらをぼんやり見ていた。

風呂に入らない。
食事もしない。
夜眠らない日もあった。

神経科に連れて行ったこともあるが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で、快復には時間がかかると言われた。

やがて秋になり、沙紀がこの世を去って半年がたった。
妻もほぼ普通の生活ができるようになっていた。

だがある日、奇妙なことを言ったのだ。

「あなた、そろそろ沙紀ちゃんのランドセル買わないとね」

私はそのまっすぐな視線をじっと視た。

今までずっと悲しみに明け暮れる日々だった。
それは娘という最愛の肉親を失ったからだ。
おのれの身を切り刻んでも余りある娘を失ったのだ。
無理もない。

その気持ちはよくわかる。

だがランドセルを買うのはどうか?
沙紀はもういないのだ。
ランドセルを買っても、それを背負って学校に行く沙紀はこの世にいないのだ。

「久仁子、気持ちは良くわかる。でもそれはどうかと思う。もうあれから半年もたった。そろそろ沙紀の死に区切りをつけようじゃないか。ランドセルを買っても辛いだけだ。悲しみが増すばかりだ」

私はほとんど哀願していた。
それは自分自身をいさめるための言葉だったかもしれない。
いつまでも過去をひきずってうじうじするのは良くない。
私たちはまだ若いし、これから子供を作ることも可能なのだから。

妻は冷めた目で笑った。
あれからそういう笑い方をすることがたまにある。

「沙紀ちゃんを忘れるなんて、私にはできません。よくできますね、あなた」
「忘れろと言っているわけじゃない。引きずるなと言いたい」
「むりです」
「だったらこれからも続けるのか?中学生になったらセーラー服を買うのか。二十歳になったら晴れ着をあつらえるのか?天国にいる沙紀もそんなことは望んでいない。父と母には前を見て生きてほしいと願っているはず」

「お願いします」
 
 妻が涙を浮かべて合掌した。


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「お願い。沙紀も小学生になるのを楽しみにしていたの。今回だけでいいから。ランドセルだけでいいから」

その週末、新宿の百貨店で赤いランドセルを買った。
ついでに学習机も買った。

すると不思議なことに妻の精神状態は今まで以上に安定したのだ。

妻は昼間、ランドセルを押し入れにしまうらしい。
昼間は学校にいって不在だからだ。
そして夕方になると、机の上に置く。

「今ね、お友達のおうちにお呼ばれなの」

夜になると
「今ね、お風呂なの」

「沙紀、すやすや寝てるわ」

と、沙紀がいない理由を自分に言い聞かせているようだった。

あっという間に6年が過ぎた。
妻は毎日その芝居を励行した。

そして小学校を卒業すると、予想した通りセーラー服を買ってきて、壁ににかけた。
約束を無視し、これからも続ける気でいる。

しかし私も妻が理解できるようになっていた。
妻の頑なな態度で気づかされたのだ。

沙紀のことを忘れる必要はないのだと。
そもそも死んだと考える必要もないのだと。
今でも生きて一緒に暮らしていると思えばいいのだと。

悲しみから逃れる方法は忘れることだけじゃない。
その逆もあり得るのではないか。
今でも生きていると信じることで、悲しみから逃れることもできるのではないか。
妻は悲しみの末にその方法を見つけだし、この6年間実践してきたのだ。

私も妻に同調した。
子どもはできそうになかったので、養育費に使うお金を幻の沙紀のためにつぎ込んだ。

成長に合わせて様々なものを買いそろえた。
お洒落なワンピースやブラウス、コート、靴、ハンドバッグ、アクセサリー、晴れ着に至るまで購入し、服はドレッサーに入れた。
靴は夜中になると出してきて玄関に揃え、朝になると靴箱にしまった。

大学卒業時には袴をレンタルした。

「いよいよ卒業ね、よく勉強したわ。首席だもんね」
「お父さんには内緒よ。今日表彰されるからびっくりするわ、きっと」

そんな自演の会話を聞いていると、本当に沙紀がいるような気になる。

そして沙紀が28歳になった秋。

私たち夫婦も覚悟はできていた。
私も還暦を迎え、妻も58歳になり、心の整理もついていた。

レンタルしたウエディングドレスが壁にかかっていた。

「すばらしかったわね、沙紀の結婚式」
「長い道のりだったな。やっと一人前になったんだな」
「安心して送り出せますわね・・・・あなた、泣かないって約束でしょう?」

私は涙をふいた。

沙紀を失った悲しみ。
幻の沙紀が幸福になる喜び。
幻の沙紀がこの家を去っていく寂しさ。
そして二人の芝居が終わってしまう悲しみ。

そんな様々な感情が複雑にからみあった涙だった。

私は鼻をすすって気持ちを整えた。

「外国人と結婚するなんて夢にも思わなかったな」
「遠い遠い国に行くそうです。もう日本には戻らないと言ってました」

親としての役目を終えた気になった。
沙紀を育て上げた気になった。
沙紀はやっと私たちのもとを離れたのだ。
そして私たちも沙紀から離れたのだ。

「沙紀、旅立ったのね」

悲しさと嬉しさが仲良く混じった母の涙を私は見た。
本当に娘を嫁がせた母に見えた。

「これからは二人でのんびりくらそうな」
「はい。そうしましょう」

悲しみは消えるだろう。
そして安らぎだけが残るだろう。


赤いランドセル.jpg


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小さな手 [感動]

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金曜日。

一週間がやっと終わり、帰宅する。
会社員にとってふっと心の縛りを緩める時。

私も50歳になりサラリーマン経験も長く幾度となく週末を迎えたが、金曜日のこの瞬間は、何度味わっても格別だ。

5日間も会社で仕事すれば、多かれ少なかれ疲労するしストレスもたまる。聞きたくもない声を聞き、見たくもないものを見ながら歯を食いしばって自身の仕事に没頭する。

金曜の夜から日曜にかけて、サラリーマンはその苦痛から解放される。かりそめの時間に過ぎないが、みんなそれぞれのやり方で心身をリフレッシュする。

今日は給料日なので、お小遣いが3万円もらえる。
今、財布には5千円入っている。
千円くらい無駄遣いしてもいいかなとふと思い、立ち飲み屋に寄っていこうと考えた。

駅の改札を出て階段を降り線路沿いを進むと立ち飲み屋がある。
焼き鳥5本とビール中ジョッキ2杯で950円である。
安くて美味いから会社帰りのサラリーマンでいつも満杯だ。
最近はOLさんも見かける。

あの店に行こう。

改札を出て、まっすぐ進んだ。
だが階段を降りようとしたとき、綺麗なメロディが風にのって聞こえてきた。
チェンバロのような可憐なキーボードと透き通るような声だった。
メロディは緩やかで、今の自分の心の琴線にふれるものがあった。

階段を下りず、ペデストリアンデッキをまっすぐ進んだ。

女性がキーボードを弾きながら歌っていた。
痩身で背が高く、夜なのにサングラスをかけている。
雰囲気から20代後半だろうか。


小さな手の力   とりもどしたい
小さな手のいのち 感じてみたい

どこにいったの? 私の小さな手


サビの部分らしく、このフレーズを二度繰り返して曲が終わった。
聞いたことのない曲だった。

足を止めて聴いている人は2,3人だった。
彼女の足元に箱があり、
「オリジナル曲のCDさしあげます」
と書いてある。

もう一度最初から聞いてみたいと思った。
もう歌わないのだろうか。
そんなに音楽好きな方ではないが、そのメロディには惹きつけられた。

「ありがとうございました」
 丁寧におじぎをした。

−もう終わりか?−

そばに近寄って聞いてみた。

「今日はもう、終わりなのですか」
彼女は最初空を見た。
そしてゆっくりと私のほうに顔を向けてえくぼを作った。

もしかしたら目が不自由なのかもしれないと直感的に思った。
しぐさからして全盲か、それに限りなく近いかもしれない。

「すいません。今日はもう、おしまいです」
「いつもここで歌ってた?」
「いえ。今日が最初です」
「今度いつ来るの」
「わかりません・・・・あまり反応良くなかったし」
「そんなことない。とてもいい曲だったよ」
「ありがとうございます」

「歌手目指してるの?」
「いえ。そんなつもりじゃ」

CDは10枚ほどあった。

ここまで話をしておいて手ぶらで帰るわけにはいかない。
もう二度と耳にできない曲かもしれないし、一枚もらうことにした。

「一枚もらってもいいかな」
「どうぞ。ありがとうございます」
「もらうのは心苦しいな。買おうか?」
「いえ。これで商売するつもりはないので」

一枚もらった。

彼女は手探りでキーボードの電源を切った。
やはり目が不自由だった。



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私は何も言わずに去った。
彼女が電話をかけたからだ。
相手は家族か友人か。
機材を片づけるのに人手がいるのだろう。

立ち飲み屋にはいかなかった。今晩あの店で酒を飲んだら彼女に悪いような気がした。
すぐに家に帰って聴いてあげたいと思った。

CDのタイトルは「小さな手」だった。

歌詞集と、簡単な自己紹介が書かれたリーフレットが入っていた。

=====================================
CDもらってくださりありがとうございます。
美雪と申します。

オリジナル曲が5曲入っています。
稚拙な曲ですが、お楽しみください。

私は子供の頃、網膜色素変性症という目の病に罹りました。
根本的な治療方法がなく、徐々に視力が失われていく難病です。
今ではもう、何も見えません。

でも最近、心の中に火が点るようになりました。
以前は音楽なんてやったこともないのですが、
急に音楽が浮かぶようになったのです。

この「小さな手」は、心の暗闇の中にふわっと浮かんだきたメロディです。
そのメロディに歌詞を付けました。

私、目が見えなくなる時、ああ、もうこれが最後かもしれないと思ったとき、自分の手をじっと見ました。一番忘れたくなかったのが自分の手だったのです。そのときの思いを詞にしました。

これからも音楽活動を続けていきたいと思います。
応援してください。

(代筆:妹の小百合)

=====================================

タイトル曲「小さな手」の歌詞を載せておく。


もしも神様がいるのなら お願い

私の小さな手 とりもどしたい

泣きたいあの日  小さな手で母にすがった 
うれしいあの日  小さな手で父に飛び乗った 

小さな手のねがい かなえてあげたい
小さな手の気持ち 思いだしたい

どこにいったの? 私の小さな手


もしも神様がいるのなら お願い

私の小さな手 とりもどしたい

熱いおひさま  小さな手が赤く透き通った
雪のひとひら  小さな手に吸いこまれていった

小さな手の力  とりもどしたい
小さな手のいのち 感じてみたい

どこにいったの? 私の小さな手


・・・・・・。

目が見えなくなるというのはどういう感覚なのだろうか。
しかも徐々に、静かに、光が消えるように。

見えていたものが見えなくなる。
世界が暗黒に支配される。

私ならどんな感覚になるだろう。
それははかりしれない恐怖をともないそうな気がする。
もしかしたら「死」と同じレベルの恐怖ではないか。
私には耐えられない。

私の一週間のストレスなど、彼女の苦悩の足元にも及ぶまい。
千円無駄遣いして酒飲んで帰ろうなんて考えている男に、この詞の本当の意味がわかるだろうか。
「とてもいい曲だったよ」
なんて口にすること自体おこがましい気もする。

せめて祈ろう。

彼女が健常者では絶対に持てない心の目を開き、
音楽を通して多くの幸福を得てくれることを祈ろう。


手のひら.jpg


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私、お父さんの娘だから [感動]

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朝の洗面所は気を遣う。

「ちょっとごめん」

と言って歯ブラシに歯磨き粉を付ける。
しかもなるべく素早く終える。

いったん居間に戻り、歯を磨く。
今朝は時間がかかっているな、と考えながら。

そしてまた洗面所に戻る。

「ちょっとごめん」

口をすすいでペッと吐く。
こちらはなかなかスピーディにはできない。口の中にたまったものを吐きだすには絶対的な時間が必要だ。娘の刺すような視線を背後に感じながら、着実に口をすすぐ。

「ごめん」

無言の娘を尻目に、洗面所を出る。

15歳になって、娘の髪の手入れ時間が長くなった気がする。
朝夕20分くらいずつかけている。
中高一貫の私立女子高に進学したせいで高校受験がなく、
気分的にも余裕があるのかもしれない。

髪が気になる理由はよくわからない。

共学の学校であれば理解できる。
異性の視線を意識することもあるだろう。
しかし女ばかりの世界でなぜ髪にこだわる必要があるのか。

妻の話では、お互い切磋琢磨して綺麗になる努力をしているのらしい。
競い合い、刺激し合って自分に最適な髪を作るのだとか。

娘は髪に気を遣い、私は娘に気を遣う。
そんな朝の慌ただしひとときが最近ずっと続いている。

ところで娘は自分の髪に大きな不満があるようだ。

くせ毛なのだ。
天然パーマとも言う。

私もくせ毛なので理解できるが、くせ毛は自分の思い通りにならないという欠点がある。
まっすぐに流れてほしいのだが、微妙に曲がる。
右にウエーブしてほしいのだが左に曲がる。
毛先が曲がっているから、伸びてもいないのにボリュームのある髪に見える。
伸びてくると膨らむ。
湿気が多い日は縮れ加減が顕著になる。

娘は私の毛質に似たのだろう。

私は45歳を過ぎたころ、いい加減髪の手入れが面倒になって丸刈りにしたが、
娘はそうはいかず、日々ドライヤーを手に格闘している。

「ああ、ストレートの子がうらやましい」

とときどきため息を漏らす。

私立学校なので校則が厳しく、パーマの類は一切禁止だ。
パーマとは、プロの手で髪の毛に人工的な手をくわえること全般をさす。
直毛を縮毛に変える一般的なパーマだけでなく、縮毛を直毛にする縮毛矯正も含まれる。要するに自然毛を加工してはいけないのだ。

みかねた母親がヘアアイロンを買い与えた。
それで多少はまっすぐになるが、完全ではないし、髪を洗えば元にもどる。
朝夕の手入れ時間が長いのは多分アイロンを買って以来だ。

「なんでそんなに髪にこだわるんだ」
そう妻に言ったら、
「あなたも女の子に生まれ変わったらわかりますよ」
と言われた。


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女性の髪の毛への執念には凄まじいものがある。
そのことを如実に示す出来事があった。

ある日曜日のことだ。

美容室から戻った娘が居間のほうにまっすぐ歩いていった。
私は寝室で寝転がって本を読んでいたが、足音で不機嫌なのがわかった。
どうやら泣いているようだ。
気になって居間に行くと、妻が娘の横で話し相手になっている。
女同士にしかわからないようなことを小声で言い合っている。

中に入り込んでも何の手助けにもならないとは思ったが、

「どうした?梓」

と聞いた。

「もうそんな美容室行かなくていいからね」
と妻が娘に強く言った。
「なんて言われたんだ」

「くせ毛は思い通りにならないから、そのスタイルにはできないって言われたんですって」

そんなことか。
美容師の言う通りじゃないか。
何を泣く必要があるか。

「くせ毛を逆利用して、その人に合ったヘアスタイルと提案する方法だってあるのよ。
それが美容師の仕事だと思うんだけど」
 と妻が娘の髪を撫でた。

「でも梓はストレートのロングがいいと言ったんだろ?美容師はそれはできないと言った。それだけの話だろ」

すると娘が顔を上げ、私をにらみつけてヒステリックにこう言った。

「お父さんがくせ毛だから私もくせ毛になっちゃったのよ。お父さんの娘だからこんな目に遭うのよ。どうしてくれんの?」

「梓、何てこと言うの」
 と妻。
娘は興奮しながらも失言と思ったのか、一瞬悲しそうな目で私の反応を待ったが、私が何も言わなかったので、自室に向かって早足で歩いて行った。

「年ごろなのよ。難しい時期ね」

父親のせいで自分がくせ毛。
どうしてくれるんだ。

そんな風に言われたのは初めてだった。

娘の部屋の前でこう言った。

「梓、さっきはごめん。お父さんな、髪の毛については何もしてあげられない。
それは生まれつきのものだから仕方ない」

娘は何も返さなかった。


その娘が髪をバッサリ切ったのは高校生になってからだった。
悪戦苦闘したセミロングは面影もなく、さっぱりしたショートのボブスタイルになっていた。

「その髪型、なかなかいいじゃない。梓にピッタリだわ」
本当かどうかわからないが、妻がそう言った。

娘は髪だけでなく、顔もさっぱりしていた。

「私ね、がむしゃらに勉強することにした」

「髪は限界があるからもういい。でも勉強には限界がないわ。頑張れば頑張っただけ成果も出てくるし。それに私、努力するの嫌いじゃないから」
「そうなの。梓すごいわね」

悩んだ挙げ句の決意なんだろうと思った。
ぎりぎりまで理想の髪を追いかけた者にしかできない方針転換だと思った。
私が丸刈りにしたのとはレベルが違うような気がした。

そのあと娘が私を見上げた。

「お父さんも努力家だから私も努力家になれると思う。・・・私、お父さんの娘だからね」

一歩成長したな、と私は思った。


ヘアアイロン.jpg


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タグ:家族 くせ毛
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石油ファンヒーターを買った日 [感動]

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父が早期退職制度を活用して会社をやめ、生まれ故郷に帰ると言いだした。

平成2年。
僕が大学を卒業してすぐのことだった。
実家近所に家を建て、再就職先も決めた。

「だからおまえも一人で暮らすことになる」
と父が言った。

一人で暮らすということがどういうことなのか今一つわからなかったが、
とにかく親元から離れなければならないことは間違いなさそうだった。
就職して慣れない社会人生活を始めた矢先、今度は一人暮らしである。
親に甘えきった生活は完全に絶たれることになる。
でも、なぜか危機感がなかった。

親が出した新生活の指針は次のようなものだった。

・アパートは希望の地域で探してやる。敷金も礼金も出してやる。
・洗濯機、冷蔵庫、テレビ、クローゼット、食卓は新品を買ってやる。
・布団と勉強机、本棚は今使っているものをそのまま運ぶ。
・引越し費用も出してやる。

ただし親が支援するのはここまで。
月々の家賃は自分で払うこと。
その他必要なものがあれば、懐具合を見ながら計画的に買うこと。

この条件でスタートして本当に大丈夫か?
僕にはその疑問すらわかなかった。
「この条件で一人で暮らすことになるらしい」
という他人事のような思いでいた。

転居先は江戸川区平井だった。
すぐそばに荒川の河川敷がある、築3年の木造モルタルアパートの2階だった。
間取りは6畳の1DK。階段が狭く急だった。

家賃は7万。

ぼんやりと計算した。
僕の給料は手取り13万。
家賃を引くと生活費として6万しか残らない。
食費を日に2,000円と見積もると、食費だけで消えてしまう。

これでやっていけるのか。
少しずつだが、不安が来た。

だがその不安を後目に、父母が九州に引っ越した。

22年間、親の庇護のもとに生きてきた。
衣食住で悩んだことは一度もない。
生きるために必要なものは常に親から提供されていた。しかも願い出て得られるのでなく、当たり前のように用意されていた。僕は基本、何もせずに生きていられた。

そんなこんなで一人暮らしを始め、何ヶ月かたった。

11月の下旬だったと思う。
土曜日の朝布団から出て顔を洗った。

凍てつくような寒さだった。

その日は北から寒波が押し寄せ、日本列島が冷気に包まれた。
北の日本海側を中心に雪が降った。

また布団にもぐりこむ。

考えてみたら暖房設備がない。
もともと暑さに強い体質なので夏は扇風機で乗り切ったが、逆に寒いのが苦手で、
ちょっと気温が下がっただけで体が縮む。

布団の中は温かいが、病人じゃあるまいし一日中そこにいるわけにはいかない。
何枚も重ね着して、靴下も2枚はいた。
しかしあまり効果はなかった。部屋の中は冷たく、きんとしていた。

−暖房をなんとかしないとやばい−

暖房器具にはどんなものがあるのだろう。
駅前の電気屋を見て回った。

エアコン、電気ストーブ、こたつ、石油ファンヒーター。

電気製品など生まれて一度も買ったことがない。
どんな製品があるのかなど考えたこともない。

が、今回ばかりは自分で何とかする必要があった。
父親が立てた指針にもあった通り、
「その他必要なものがあれば、懐具合を見ながら計画的に買う」のだ。


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エアコンは高すぎる。
電気ストーブは部屋全体が温まりにくい。
こたつは場所を取る。
そうなると石油ファンヒーターか。

当時はクレジットカードを持っていなかったので、すべて現金決済になる。
今これを買うと、当面ものが食べられなくなる。
ボーナスが出る12月7日まで耐えしのぐしかなかった。

そしてボーナスをもらった週の休日、駅前の電気屋で石油ファンヒーターを買った。
「車で配送する場合夕方になっちゃいますし、料金もかかりますがどうします?」
と若い店員が言った。
「すぐそこなので持って帰ります」
 とにかく一刻も早く手に入れたい。
「重いですけど」
「大丈夫です」

大丈夫ではなかった。

当時の石油ファンヒーターはかなり重量感があった。男の僕でも、20メートルほど歩いていったん下ろさないと腕がちぎれそうになる。しかも疲労が蓄積していき、休憩する間隔がどんどん短くなった。

−あと少しだ。頑張れ−

最後は引きずるように運び、何とか部屋に持ち込んだ。

でもこれで終りではなかった。
灯油がなければどうしようもないのだ。

歩いて7分ほどの場所にガソリンスタンドがあり、灯油も販売している。途中で灯油のポリタンクを買い、ガソリンスタンドで灯油を満タンに入れると、また引きずるようにして持って帰った。石油ファンヒーターより重かった。
持ち上げて10歩ほど歩く作業を繰り返した。

通行人が不思議な目で僕を見る。

「灯油をそんな風に運ぶのは禁止されているんだぞ」

そんな目で見ていた。

灯油を部屋に運び入れたら、その場に倒れてしばらく動けなかった。
披露困憊し、身体は冷え切っていた。

−よし、運転だ−

灯油をポンプでファンヒーターの灯油缶に流し入れ、本体にセットしてスイッチを入れた。しばらくブーンと低い音が鳴り、パチパチパチと火花がはじけるような音の後、

ボオッ!

と頼もしい音がして、初夏の風のような温かい空気が出てきた。

「おおお・・・温かい!」

これで救われたと僕は思った。
暖房のありがたさを知った。
電気製品の偉大さを知った。

部屋はたちまち温まった。
一人で暮らすようになって、自力でつかんだ初めての幸福だった。

灯油は二週間に一度くらいのペースで買った。
相変わらず同じガソリンスタンドで購入し、手で持って帰った。
灯油販売車が来ないこともないが、平日の昼間に来ているようで、
休日に見かけたことはない。

雨の日など、傘をさして灯油を運んだこともある。
時間もかかったし、指の感覚がなくなりちぎれそうになった。

そんなある日のことだった。
買い物から帰ったとき、真向いの奥さんから声をかけられた。
小さな子どもが二人いる主婦だった。
たまに顔を合わせることもあるが、軽く目礼する程度だった。
態度は冷ややかで、僕を不審に思っているふしがあった。

「あのう、火曜日に灯油販売が来ますので、一緒に買っておきましょうか?」

僕の人海戦術による灯油運搬を見かねたのだろうか。
人は、人を見ていないようで見ているものだと知った。
でも僕のことを不審人物と思っていたのではないのか?

灯油を手で運ぶ人間に悪人はいないと思ったか。

せっかく声をかけてもらったし、断る理由もないのでお願いすることにした。

「一階に置いときますから、会社の帰りにでも持って上がってください。
お金は後で結構です。それから、灯油のタンクに名前を書いておいてください」
 事務的な言い方だが、学校の教師のような信頼感があった。

「ありがとうございます。・・・お金は今払います。来週の分」

生まれて初めて電気製品と灯油を自分で買った。
そのことがきっかけでご近所とのコミュニケーションが生まれた。

一人で生きるのは辛いが、思いのほか心休まる部分もあると知った。

灯油のポリタンクにマジックで「倉田章一」と書いた。
今度社員旅行があるから、奥さんにお土産でも買って帰ろうと思った。
そのくらいのことはするべきだと思った。

これらは父親の一人暮らしの指針にはない手続きだった。

小さなことだが、ちょっとだけ自分が大きくなった気がした。


灯油.jpg


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大根おろしかけごはん [感動]

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バラバラ!と窓が音を立てた。
猛烈な吹雪だ。

天気予報でも新潟県全域は暴風雪という予報だった。
窓は二重になっていて外の様子はうかがいしれないが、断続的に窓に衝突してくる雪の音から想像するに、外は相当吹雪いていると思われる。

今日が土曜日でよかった。
この吹雪の中、30分も歩いて職場に行けるものか。

東京から新潟県の柏崎市に赴任してきて2ヶ月になる。
日本海側の冬のすごさを知ったのはそれが初めてではないが、ここまでひどいのは初めてだろう。アパート全体が揺れているようにも感じられる。

私がつとめる会社は情報サービスを営むIT企業だ。
柏崎市の某金属メーカーの生産管理システムを構築し、稼働後は保守と運用を請け負い、SEを一名常駐させていた。2ヶ月前、その社員が体調不良を理由に退職した。

もうじき契約も切れることであるし、交替要員は不要、今後は自分たちでシステムを回すと顧客は言ったが、我が社は契約継続を強く提案した。おりしもバブルが崩壊した危機的な時期だった。しがないIT企業としては少しでも売り上げがほしい。

交替要員として白羽の矢が当たったのは私だった。
部長は私を会議室に呼びつけると
「牛尾、悪いが明日から柏崎に行ってくれ」
と命令した。
「何日間でしょう」
「一年だ」

現地のSE退職の話と要員再投入の話を簡単に聞いた。

「私にはあの会社のシステムの知識がありません」
「現地で学べ」
「急に言われても困ります。東京のアパートはどうなるんですか」
「とりあえず行け。引っ越しはあとからゆっくりやればいいだろう」

独り身とはいえ慣れ親しんだ東京を離れるのは覚悟がいる。
「本当に一年間ですか」
「間違いない。客もそのくらいしか継続する気がないらしい」

ひどい人事だと思った。
こんなその場しのぎの人事が許されるのか。
当事者が退職を申し出た時点で対策を打つべきではなかったのか。
人を入れるなら入れるで、もっと戦略的に準備すべきだったのだ。

前任者が住んでいた会社の借り上げアパートには、とても引っ越してくる気にはなれなかった。6畳一間の1K。東京のアパートは1DK。荷物をすべて運び込むことはできない。
それに一年程度の滞在。
私は長期出張と考えて、二重生活を決意した。
東京には月に二度ほど帰った。

客は冷たかった。
特別な付加価値や過剰な即戦力を私に要求した。
いらないというのに入ってきたのであるから、それなりの仕事をしてもらうという論理だったが、それはほとんどいじめに近いものがあった。

「このくらいのデータ移行作業はせいぜい半日で終わらないとまずいよね。前任者は一日もかかってた」
「この製造指示エラーのアラートを出すタイミングが変だ。早急に見直して新しい仕様を提案してくれ」

着任してすぐ、そう指示された。

無理だ。

中身を何も知らないのにそんなことができるか。

それでも休日返上でがむしゃらに働いた。
自分だけが頼りだった。

あれから2ヶ月。
仕事はなんとかこなしているが、人への不信感が日々募った。人を道具としか見ていないうちの会社。無理だとわかっているのにあえて難題をふっかける客。

必要以外客と会話しなかったし、本社への報告もいっさいしなかった。
この仕事で失敗して解雇されてもかまわない。
むしろ解雇されたい。
そう思っていた。


時計を見ると16時だった。
外は吹雪だが、そろそろ夕食の弁当を買いに行かなくてはならない。

車を持っていないので、徒歩でスーパーまで行く。
スーパーまでは片道20分もある。
この冬の嵐の中、往復40分の徒歩が果たして可能だろうか。
しかも帰りは弁当持参ときている。

厚着して帽子をかぶり、傘を持って外に出てみた。
いきなり顔面に風と雪が来た。

世の中に横に降る雪があることを初めて知った。
日本海側から吹き付ける強風に乗って、雪が地面に平行に飛んでいく。
世界は銀色で、何もかもが雪の中にあった。
電線がゆれ、不気味な音を立てる。

−この中を歩くのか−


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傘をさし、前屈みの姿勢でもたもた進んだ。
風はいろんな角度から自在に襲ってきた。
そのつど傘の向きを変え、傘の骨を守る。

珍奇な通行人を弄ぶように。四方八方から風と雪が襲いかかる。
前が見えない。
どこが歩道なのかもわからない。

道路中央に一定間隔で消雪パイプがはめ込まれてあり、そこから雪を溶かすための水が放出されているが、その位置から相対的に歩道を探すしかなかった。
足下を誤ると溝に落ちるので慎重に歩く。

ビューーーーッ!!

思いがけない方向からとんでもない風雪が来た。
ついに傘が反対にめくれあがり、もとに戻そうとするがもはや不可能。
またたく間に骨が何本か折れた。

−もうだめだ。これ以上進めない−

退却を決めた。
アパートから外に出て5分とたっていなかった。

傘をささず、雪まみれになってアパートに帰り着いた。
その様子を同じアパートに住む中年女性が窓から見ていた。
たまに見かける女性で、夕方になると出勤する。
夜の仕事をしている人だとは思っていた。

破壊の跡から、改めて暴風雪のすさまじさを知った。
すでに使い物にならなくなったその傘を、台所の隅に放り投げた。

−当面の問題は食糧をどうするかだ−

カップラーメンの類なら何個かあるからそれでしのぐことはできる。
こんなことなら炊飯器を買っておけばよかったと思った。
自炊する気がないので買わなかったのだ。

日が暮れても吹雪はおさまらなかった。
暗くなると、さらに不気味になった。

ノックの音がした。

扉を開けると、さっきの中年女性だった。
派手で大きな目が、私を覗きこむように見た。

「今晩、食べるものあるの?」
「お恥ずかしながら。カップラーメンくらいです」
「これ、どうぞ」

小さな炊飯器だった。

「炊き立てよ、2合炊いたから明日の朝まで食べれるかな」
「そんな、いいんですか?」
「この雪の中じゃ車でも移動は難しいのよ。あんた無謀よ。それからこれ」

 皿の上に何かが乗っていて、ラップしてある。

「こんなものしかないけど」
 と笑う。
「私ね、仕事前に大根おろしでご飯を食べるのよ」
「ご飯に、大根おろしですか?」
「これ食べるとね、元気になるのよ」
「これからお仕事ですか」
「そうだよ。東本町の『つかさ』。今度気が向いたら寄って。
 炊飯器さ、扉の前に置いといていいからね。じゃあ急ぐから」

商売柄かもしれないが、人なつっこい女性だった。
しかし恩を売って何かを得ようみたいな下心は少しも感じられなかった。
女性の目は、とても和やかだった。
純粋な優しさをもらった気がした。

お言葉に甘えた。

ご飯は温かく、美味しかった。
こんな温かいご飯を食べたのは何年ぶりだろう!

大根おろしも口にしてみた。
大根おろしをおかずにごはんを食べるなんて聞いたこともないが、けっこういける。
ご飯の甘みと、大根の苦みのコントラストがいい。

ご飯にかけて食べてみた。
うまい!
感無量だった。

だんだんと胸が熱くなってくる。
目頭も熱くなってくる。

嫌な人間もいるが、すばらしい人間もいる。
そんな当たり前のことを、今さらのように実感した。

鼻水をすすった。

それから客に嫌みを言われながらも、懸命に仕事した。
嫌なことがあったら、あの日の大根おろしかけごはんを思いだした。

春、夏が過ぎ、秋になった。
あれから一年。いよいよ東京に戻る時期が来た。

部長が私を東京に戻す段取りをつけに柏崎に来た。
部長は顧客との打ち合わせを終えて会議室から出てくると苦笑した。
私にかけた言葉は思いがけないものだった。

「あと半年がんばってくれないか」

「牛尾さんはとてもよくやってくれている。できればもう少しここで色々教えてほしい」
と頭を下げられたらしい。

悪い気はしなかった。

柏崎二度目の冬が間近だった。


大根おろし.jpg


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家具 [感動]

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窓を開けてみた。

今まで体感したことのない風が部屋の中を通り過ぎた気がする。
風は何の躊躇もなく流れ込んできて、形を崩さずに玄関のほうに駆け抜けていった。

障害物がないから当たり前なのだが、それがいたく私の胸を打った。
家具がすべて消えた部屋というものは、こういうものなのかと思った。

「あなた、トラック無事に発車しましたよ」
「2台ともか」
「はい、たった今」

引っ越しのトラックを見送った妻が、スリッパに履き替えて空っぽになった4LDKのマンションの居間に上がってきた。スリッパの音がやけに軽薄に聞こえる。
深みのない、乾いた音だった。ちょっと前までは、温かみのある人なつっこい音をたてていた気がする。

定年退職し、田舎に移ることになった。
子ども二人(長男長女)も結婚し家を出て、もはや都会にいる必要もなくなった。
もっと緑に囲まれ、のんびりしたところで余生を送りたいと妻に打ち明け、長いこと話し合った結果、宮崎に移住することに決めた。
宮崎には弟夫婦も住んでおり、転居先の選定や土地家屋の購入手続きなどいろいろ尽力してくれた。

「子供たちが孫を連れて遊びに来たとき、少しでも部屋が広いほうがいいだろう」
「小さな子が安心して遊べる場所があればいいわね」
「宮崎なら海もあるし山もある。きれいな川もあるだろう」

私は日々田舎に思いを馳せた。
人間土に還るというが、歳を取ると田舎にあこがれるのだということを60歳になって知った。都会にはもう未練はなかった。

子どもたちに移住の件を話したら、都内ならすぐにでも行けるが宮崎だと費用がかかると文句を言われたが、反対する権利はこちらにないとも言われ、おおむね受け入れられた。 
家は宮崎市郊外に建てることにした。
見晴らしのよい高台にあった。
周囲は緑が多く、空気も美味しかった。
何回か現地を訪れ、家が作られていくのを見守った。
ビル警備の再就職も決まった。
第二の人生の土台が少しずつできあがっていった。

「車、途中で何回ガソリン入れることになるかしら」
 宮崎まで車で行くのだ。
 途中、京都を観光し、広島の義妹を訪ねる予定でいる。

「見当もつかないな。まあそうせかすな。のんびり行こう」
 フローリングに腰を下ろし、足を延ばした。
「汚れてますよ」
「汚れたら汚れを取ればいい。貴子も座りなさい」
「いやです」
 妻は管理人に話があると言ってまた出て行った。

あれはいつだったか。
長男が7歳の頃だったな。

4歳の長女が持ち込んだインフルエンザが私と妻にも感染し3人ダウンしたが、
長男だけが元気だった。妻は買い物にも行けず、食事の支度もできない。
口頭でごはんの炊き方を長男に指示し、長男は朝昼晩、白飯と塩だけで過ごした。
文句一つ言わなかった。
こいつは大した男になると思った。

だが大学を途中でやめてインテリア雑貨の輸入代理店に就職。
イギリスと日本をいったりきたりする生活をした。
少しでも息子の役に立とうとその店から欧風の食卓を買った。
それからずっと居間においてある。

だがその会社も倒産してしばらくぶらぶらして中堅の商社に入って今に至っている。
期待したほど大した男にはならなかった。

「父さん、俺結婚することにしたから」

相手は職場の後輩の女性だった。
にこやかに笑う上品な女性だった。

私は息子に、お前にはもったいないと言った。すると、

「母さんも父さんにはもったいない女性だと思うけど」

と言って母親を喜ばせた。
そういえば母親思いだったな。
母の日に食洗機をプレゼントしたのにはびっくりした。


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長女は学業優秀で堅実なところがあった。
どことなく妻に似ていた。
自分は勉強で身を立てるといって、スポーツや遊びはいっさいしなかった。
いつも机にむかっていた。テレビがうるさくても心が乱れない集中力の持ち主だった。
ときどき気分転換でピアノを弾き、そのあと居間のソファに座って首をぽきぽき鳴らしたりした。

大学も一流と言える国立大学に現役で合格し、新聞社に就職した。

心がずきんとしたのはその長女が5歳も年下の大学生と恋に落ちたことだ。
娘も大人だから自分で考えて行動するだろうと思っていたが、まもなく失恋した。
大学生から見たら、ほんの遊びだったらしい。

失恋の件は、何週間もたってから妻から聞いた。
長女が学習机で顔を伏せて泣きじゃくっていた夜があったが、その理由がやっとわかった。

それから3年後、同じ新聞社の記者と結婚した。

長男長女二人とも、親から巣立っていった。
このマンションで生まれ、長い時間をかけて大きくなったが、あっという間に姿を消した。

部屋の中を眺めてみた。

すでに何もなかったが、各所にどんな家具があったのか忘れていない。

ソファ、テレビ、欧風の食卓、タンス、本棚、ピアノ、長女の学習机、ベッド、天体望遠鏡、電子レンジ、長男が買った食洗機、電話機・・・

それらの幻影を目に浮かべた。
それらは家族とともにあった。
家族の語らいや葛藤をすべて見届けた家具たちだった。

それらがすべて消えた今、家族の記憶も消えかけているような気もする。子供たちが小さかった頃の記憶のほとんどは、もう遙か彼方に飛んでいこうとしている。色即是空ではないが、すべて幻だったような気もする。

本当にあの家族はあったのか?
本当にあんな会話をしたのか?
今となっては実感がない。
だが、不思議な達成感がある。

歳を取るということはそういうことなのかもしれない。

「あなたどうなさったの?」
寝転がって肘を枕に横になっている私を不審に思ったのだろう。

「いや別に。ちょっと考えごとをしていた」
「まあ、どんな考えごとでしょう?」

起きあがった私の背中のほこりをパンパンと取り払った。

「家から人がいなくなっても家具は残るが、家具がなくなったら人もいなくなるんだなと思って」

くすっと妻が笑った。

「そんなセンチなことを考えてる場合じゃありませんよ。田舎暮らしも楽じゃないんですからね。気持ちをしっかり持たないと」
「そうだな。第二の人生だもんな」

 立ち上がって、尻をはたいた。

「もう出ますか?」
「出発だ」

玄関でもう一度振り向いて部屋を眺めた。
ただ風が吹いているだけだった。

扉を閉めた。


家具.jpg


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クリームシチュー [感動]

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ああ、寒い。
駅の外に出たら体を縮めた。

もうマフラーだけではむりかもしれない。

−明日からコートを着ていくか−

でもコートはまだクリーニングに出しておらず、昨年の冬の状態のままクローゼットにぶら下がっている。

−どのくらい汚れていたかな。クリーニングせずに今年も着れるだろうか−

そんなことを考えながらマフラーをしっかりと巻きなおして帰路についた。
今晩はそんなにお腹空いてないからコンビニ弁当でもいいか、とぼんやり考えた。

独身アラサー男子29歳のサラリーマン。
医療機器メーカーで経理事務をしている。仕事は地味でつまらないが、課員が少ないので、年功序列で上に上がれるので将来に不安はない。今の課長が部長になれば、必然的に私が課長に昇進する。それだけが楽しみの仕事だった。

仕事のことは、まあいい。

問題は私生活だ。
独身やもめで、それこそ地味でつまらない。
数年前までは独身の気ままな暮らしを楽しんでいたが、さすが30歳の扉が近づきだすと、独身の身がことさら寂しく感じられる。

−ああ、結婚したい−

そういう願望が噴き出すことがある。
女性に支えられたいし、女性を支えたい。
そういう暮らしをしたい。

ちなみに交際している女性は特にいない。
同じ経理課員に皆川寿子という4歳年下の女性がいて、私のことを慕ってくれているようだが、彼女には関心がない。遊び半分でつきあえば形の上ではカップルが成立するはずだが、そんな半端な気持ちでつきあうのは彼女に失礼なので、彼女の気持ちには応じられない。

コンビニで幕の内弁当と缶ビールを買い、国道沿いを歩いた。

寒いと独身の切なさがいちだんと身にしみる。
特に胸に迫ってくるのは、近所の民家から漂ってくる家族の団欒の気配だ。
家族っていいなと思う。

ある夜、美味しそうなクリームシチューの香りが漂ってきた。
思わず立ち止まった。

ママが作ったクリームシチューをこれから家族全員でいただくのだろう。
いろんな会話を交わしながらクリームシチューをスプーンですくう。
いいな、家族の団欒。

コンビニ弁当の上で、缶ビールがゴロゴロ転がった。

鍵をあけて真っ暗な冷たい部屋に入る。
電気をつけて弁当と缶ビールをテーブルの上に置き、クローゼットからコートを引っ張り出した。少々お疲れ気味だが、そのまま着れそうだった。

そのときメールが来ているのに気づいた。
寿子からだった。

「クリスマスイブ、ほんとに羽田空港に飛行機見に連れて行ってくれるんですか?
私、イブに用事ないから(悲)、戸田さんにおまかせします」

何の話だ?
俺そんなこと言ったっけ。あいつに。

言ったとしたらこの前の忘年会の席だろう。
酒が回ると大きなことを口にするのが私の悪い癖だ。
その癖直さないと時と場合によては大変なことになると同僚から警告されたこともある。
あの忘年会ではそれほど酔った記憶はないが、もしかしたらそんなことを口走ったのかもしれない。

いや、言った。
確かに言った。

記憶の奥のほうでぱっと光がともり、その夜の出来事が走馬燈のように巡ってきた。
いったん突破口が開けると、記憶というものは一気に姿を明らかにするものらしい。

寿子はこんなことを言ったな。

「私、戸田さんの奥さんになったら、戸田さんのご両親を一生懸命大切にします」
「私、結婚したら主婦になりたいです。仕事は辞めます」

ある意味、逆プロポーズだと思った。
彼女はもしかしたら本気かもしれないと思った。
でも、いまいち気持ちが乗ってこない自分がいた。
寿子は素直で、けれんみのない純真な女だ。ちょっとしつこいところがあるが、
それをのぞけば性格美人と言えるかもしれない。
でも、どちらかというとメンクイの私には、性格美人というだけでは物足りない。

「クリスマスイブ、戸田さん何か用事あるんですか?私ないですけど」
「夜、羽田に飛行機を見に行こうか。いっぺん夜の空港を見たいと思ってた」
 それが逆プロポーズへの精一杯のお返しだった。

コートをベッドの上に置いて缶ビールの栓を抜くと、一口飲んだ。
そしてどんな返事をするか画面を見ながら考えた。

イブに用事がない、用事がないとしつこく宣言する。
これはきっと
「私に彼はいません。フリーです」
ということを主張しているのだろう。
私はあなたのものになります、と。
そんなところがいじらしく、また小憎たらしくもあった。


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「予定通り見に行くことにするか。飛行機見て、空港で何か食って帰ろう」

と書き送った。
「レストラン、調べておきます!楽しみ〜!おやすみなさい」

これでいいんだろうか、と疑問がわく。
その気になった彼女を最後に傷つけることになりはしまいか。

羽田で言おう。
俺にその気はないと。
はっきりと言ったほうがいい。

12月24日。
クリスマスイブ。

寿子は朝から元気がなかった。
始業前、机にうつ伏せになっていた。

「どうした、皆川」
「頭が痛いんです」
「風邪か?」
「だと思います。寒気もするし」
「大丈夫かよ」

始業時間になったらパソコンに向かったが、表情は死んでいた。
10時頃、課長に相談して早退することにしたようだ。

その後社内メールが来た。
「羽田の件、延期させてください。大変申し訳ありません。今日は羽田に行きたくて出社したんですが、体がいうことをききません」

羽田空港に行きたいから無理をして会社に来たということか。
殊勝なのか物好きなのか、自分にはまねできないと思った。

寿子はすぐに退社した。

彼女が退社した後、課長が私に言った。
「39度近くあるそうだ。休めばよかったのに。ばかなやつだ」

理由はよくわからないが、胸が熱くなった。
じんときた。

さいわいインフルエンザではなく、医者の薬で熱も下がり、
2日休んだだけで出社してきた。

「皆川、大丈夫か?」
「大丈夫です」
「今日、本当に羽田に行けるの?」

明日是非行きたいと、昨晩メールをもらっていたのだ。
今日をはずしたら次の日は最終日で納会がある。
羽田には行けない。

「大丈夫です。熱もないですし」
「でも」
「行きたいです」

定時後、浜松町からモノレールに乗って羽田に向かった。
寿子は照れくさそうにしていた。
普段とは別の顔をしていた。
そんな寿子を見ていると、私も照れくさくなってくる。
会話ははずまなかったが、退屈ではなかった。

第二ターミナルの展望デッキで夜の飛行機を見た。
目の前をANAのボーイング777機がライトを点滅させてタキシング(滑走路への移動)している。キーンというエンジンの音を聞いていると、旅の予感がしてわくわくしてくる。

私はこの場できっぱりと寿子を切ろうと思っていた。
自分にその気はないからあきらめてくれと言おうと思っていた。
そのせりふも用意していた。
だけどここ数日で気持ちが大きく変わっていた。
自分でも不思議なくらいに。

寿子とは並んで立ち、特に会話もなく飛行機がC滑走路で離陸を待っているのを見ていた。

やがて寿子がこう言った。

「戸田さん、私のこと嫌いですよね。興味ないですよね」
 祈るような目だった。

気持ちを決めた。
酒は飲んでいないからこれは本心だ。

「クリームシチューが食べたい」
「え?・・・」
「寿子、クリームシチュー作れるか?」

(寿子と呼んだのは初めてだった。寿子の顔が緊張した)

「はい」
「今度僕のアパートで作ってほしい。お願い」
 目を丸くする寿子。
「寿子のクリームシチューが食べたい。これからずっと」
 そっと肩を抱いた。

「はい。頑張って作ってみます」
 と小さいけど活きいきした声が帰ってきた。

飛行機が轟音を上げて、ランウェイ34Rから果てしない夜空に飛び立った。


クリームシチュー.jpg


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父の形見 [感動]

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バスケの部活を休んでごろごろしている息子の啓太に文句を言った。

「バスケやった方が体もしゃんとするんじゃないか」

息子は何も答えない。
夏風邪だと言ってバスケ部の練習を休み、寝転がってゲームに興じている。

「何とか言え」
「お父さんだって休んでんじゃん」
「お父さん、夏休みだ」
「僕だって基本夏休みだよ」

「そんなこともあるわよ。それに本当に夏風邪だったら大変よ。なかなか治らないし」
 と妻が啓太の朝食を片づけだした。
「本当に朝ご飯いらないのね」

「いらない」
「しょうもない奴だ。いいか、男ってのはな・・・」
「あなた、もういいじゃない」

いいか、男ってのはな。・・・

言葉につまったのは妻に止められたからだけではない。
亡き父のことを思い出したのだ。

−俺の口からこの言葉が出るとはな−

苦笑いした。

それから私はあることを思いだし、書斎に入って机の三段目の引き出しを開けた。久しぶりに取り出したその茶色の封筒は、表面がカサカサになっていた。もうどのくらいこうやって保存しているだろう。
三十年以上はたつかもしれない。

中に入っているものを取り出した。
黒ぶちのメガネだった。

しっかりしたフレームのメガネで、ほとんど痛んでいないどころか、光沢さえ残っている。度が強く、まるで虫眼鏡だ。

それは父のメガネだった。
あのことがあってからずっと保存している。
いや保存しているというより、隠しているといったほうが正しい。

メガネのフレームをこすりながら、記憶をだどった。

父は昔風の人間だった。
曲がったことを許さず、弱音を吐く男を嫌った。
また男が女っぽいことをすることを嫌った。
私は小学4年生の頃音楽に関心を持ち、ピアノを習いたいと母に願い出たが父が怖い顔をした。

「何バカなことを言っとるか。ピアノは女がやるもんだ」
「でも翔ちゃんもピアノ習ってるよ」
「そいつは女なんだろう、男の格好をした女だ」

今から考えると異常な偏見の持ち主だと思うが、当時の父はそんなことを平気で豪語する人物だった。

「何か習いたいんなら剣道をやれ。男は剣道だ」
 自衛官の父は剣道三段、柔道二段だった。

私は剣道を習わされた。

正直、面白くなかった。
その剣道を習っていた時期は、私の半生のうちでもっとも屈辱的で苦痛にみちた時期だったと思う。暑い夏、臭い剣道着や重い防具を身につけて奇声を上げ、竹刀を振り回して走り回る。相手の頭を打ち、腹をたたく。剣道を愛する人には申し訳ないが、これが何の役にたつのかと当時の私はまじめに思った。

何度か稽古を休んだことがある。
「おなかが痛いから」

そのたびに父のカミナリが落ちた。父は仮病を見抜き、私を正座させた。
「辛いことに背中を向けていいのか」
 私は涙ぐんだ。剣道のことを考えるとめまいがしそうだった。

「いいか、男ってのはな・・・」

男談義をえんえんと聞かされた。
戦前の兵隊の話すら持ち出した。
大和魂という言葉を覚えたのもそのときだった。

中学校に入ったら剣道はやめたが、成績のことや服装、髪型のことでやいのやいの言われた。我が家では母より父のほうが私を叱っていたと思う。反抗期でもあったし、父と何度もぶつかった。

父に戦いを挑もうとしたことがあった。
が、剣道三段、柔道二段の強者とまともに戦えるとは思えない。
 
私が選んだ攻撃は、メガネを隠すことだった。

父はひどい近眼で、メガネがないと何もできなかった。
そこに目を付け、ひとつ困らせてやろうと思ったのだ。


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酒を飲んで帰ってきた父が風呂を浴びているすきにメガネを盗み、部屋に戻って学生鞄の中にほうりこんだ。そして母親におやすみと告げて布団の中に潜り込んだ、

居間の方からあわただしく歩き回る両親の足音とせわしい会話が聞こえてくる。

「この辺においてたんだが」
「酒場に忘れて来たんじゃありませんか」
「バカ言え。メガネなしで帰ってこれるか」
「そりゃそうですわね」
 母は笑っていた。
 そのうち出てくるに決まってる、みたいなのんびりした笑いだった。

だがメガネが出てくるわけがなかった。
「周一、わしのメガネ知らんか」
翌朝、父が私に問うた。

「知らないよ。父さんのメガネなんか興味ないもん」
 朝ご飯のトーストをかじりながら、そう平然と嘘をついた。

「そうか」

 僕はそのまま学校に行ったが、父は仕事を休んだらしい。メガネがないと何もできないからと、母と二人で馴染みのメガネ屋に行って、とりあえず自分の目に合う代用のメガネを借りてきたようだ。メガネが見つかるまでは、これで日々をしのぐと言っていた。
だが見つからないので、父は新しくメガネを作ることにした。

当時、銀ぶちのメガネがはやっていた。有名人や、町をゆくおしゃれな男女はみんな銀ぶちをかけていた。ある休みの日、メガネ屋から帰ってきた父は、銀ぶちのメガネをしていた。

「周一、どうだ。似合うか」

それは父ではなかった。
まったくの別人に見えた。

「わからないけど、別の人に見える」
「そうか。俺もイメチェンだな。ははは」
 豪快に笑った。

父は凄まじい眼力の持ち主だ。
あるいは私が犯人だと見抜いていたかもしれない。
だが父は私に疑いの目を向けなかった。

「何かと一緒に捨てたことにしておこう」

母にはそう言っていた。

銀ぶちメガネのせいで父が別人のようになると、不思議と父への反抗心が薄れた。それにメガネを隠し持っているという罪悪感もあり、父と露骨に対峙することを避けた。悪く言えば無視、よく言えば従順だった。
隠しているメガネをどうするかという問題が残っていたが、新調したメガネが気に入っている風でもあったし、そのまま隠し通すことに決めた。

あのメガネ事件を機に、父と私の距離は大きく開いた気がする。
あれをきっかけに父は一気に歳をとり、私は大人になったのかもしれない。

その父も6年前に他界した。

父は不治の病でずっと床にふしていたが、ある日今晩が峠だと医者から告げられた。

私は妻と啓太を連れて父の床を訪れた。
痩せ細り、しわくちゃになった父に過去の威勢はみじんもなかった。すでにメガネの役目も終わっていた。ものをじっくり見る必要がなかった。

父が少し目を開けた。
とろんとした眼光がこっちを向いた。

「周一か」
「父さん、見えるのか」
「息子じゃないか。見えなくても雰囲気でわかる」
「そうなんだ」
「しっかりやれよ」

会話はそれだけだった。
父は大きく息を吸い、この世を去った。

黒ぶちメガネをそっとかけて書斎のあちこちを見た。
気分が悪くなりそうな度数だった。
父はこんなメガネをかけていたのか。

そのとき妻が書斎に入ってきた。

「あなた・・・やだ!・・・そっくり」
 メガネをはずして妻を見た。
「何が」
「お父様にそっくりだったから」
「そうか」
「うりふたつじゃない。やっぱり親子ね。それ、お父様のメガネ?」
「今となっては形見みたいなもんかな」
「そう。そんなメガネしてらしたのね」
「何か用か」
「あ。啓太、やっぱり熱があるのよ。今から病院に行ってくるわね」

 そそくさと階段を下りていった。

−おやじにそっくりか−

もう一度かけてみた。
父の眼力はこの度数のおかげで成り立っていたのではないかと思った。
父は父なりにこのメガネでいろんなものをしっかりと見ていたのだろう。
もちろん私のことも。

啓太が帰ってきたら気の利いた言葉の一つでもかけてやるかと思い、
父の形見を茶封筒に入れた。


黒ぶちメガネ.jpg


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母ちゃんの凧 [感動]

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「母ちゃん、凧、凧」
 
冬休み最後の日の夜、弟の三郎がすごい形相で母にすがりついた。

「凧がどうしたと?」
「持って行かんといかん」

三郎のたどたどしい説明によると、冬休みのうちに凧を作って学校に持って行かなければならないらしい。冬休みあけにみんなで凧上げをやるので、各自作って持ってきてくださいと先生から言われていたという。
お父さんやお兄さんに相談して作ってみてくださいと。

「なんで今頃言うと?」

母が困惑するのもむりはない。
時計を見ると21時少し前。
三年生の三郎はいつもこの時間には寝てしまう。
明日の学校の準備はすでにできているが、凧のことを急に思い出したらしい。

「どげんすればよかとかね」

たたんだ洗濯物を抱えて狭い部屋の中を歩き回る母。

「お父さんがおればね」

父は東京に単身赴任していた。
正月は大晦日から戻ったが、三が日が開けたら帰ってしまった。
熊本には当分戻らない。

「ほんとに明日までに持っていかないかんと?」
 母が顔をしかめっ面にして三郎を見下ろした。

「うん」
 
なぜか危機感のない三郎。
まるで他人事のような顔をしている。それは母に言えば解決してくれるだろうという信頼感からくる落ち着きなのかもしれなかった。

「二郎、作れんね」
「できん。作ったことなか」
僕は六年生だけど凧は作ったことがない。

「ほんと今までなんばしよったとかね」
 
それでも母は知恵を出し、材料を集めた。

・割り箸四膳
・青いビニールのポリ袋
・糸(裁縫用の糸と太い凧糸)
・木工用ボンド

これらはとても凧作りの材料と呼べるものではなかった。
普通なら笑い出すところだが、父不在の冬休みの最終日、緊急で凧を作らなければならない我が家に笑いは生まれなかった。材料のひとつひとつが重要な役目を持つ選ばれし者たちだった。

母がそれを組み立てた。
割り箸を割り、二本をつなげて一本にし、凧の一辺を作った。
つなげ方はいたって単純で、先の二センチ程度を重ねて糸で結び、木工用ボンドを垂らす。それを四辺作り、正方形にして糸でつなぎ合わせる。
かくして一辺35センチ程度の凧の土台ができあがった。

「母ちゃんすげえ」

と三郎が言った。
その喜びに満ちた顔は、凧に対する感動ではなく、とりあえず明日持って行く宿題ができつつあるという安心によるものだと思った。
僕も同じで、これで少なくとも今夜はゆっくり眠れそうだと思った。

「後はビニール貼るだけだけん、二人とも寝てよか」

母も少々落ち着きを取り戻していた。
ボンドを垂らした部分にふうふうと息を吹きかけながら、少しゆがんだ正方形をしげしげと見ていた。

「ビニールは木工用ボンドじゃだめだけん、セメダイン持ってくる」
 とっさに思いついた僕の知恵。
 プラモデル作りで使うセメダインを持ってきた。

「ありがとう、二郎。早く寝なさい」
「おやすみ」

隣の部屋に入ると、布団に入った。
三郎はすでに布団の中だった。
布団は冷たかったけど、だんだんを温かくなってきた。
三郎はすぐに寝息をたてた。
よく平気で寝れるもんだと思った。


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耳を澄ませると、ビニールをハサミで切る音がした。
カチコチと鳴る古い壁時計の音に混じって、チョキチョキと音がする。
ときどき母の咳払いがする。

音が消えた。

きっとセメダインを塗ってるんだ、と思った。
案の定、テーブルにセメダインのチューブを落とす乾いた音がした。
かすかに母の息が聞こえる。
セメダインを乾かしてるんだろう。

だんだん眠くなってきた。

翌朝、テーブルの上に完成した凧が置いてあった。
昨日の正方形の枠に、青いビニールをセメダインで貼っただけだった。
正方形はゆがんだまま固まっていた。

正方形の角から出た凧糸が、凧の正面40センチくらいの位置で一本につながっていた。その結び目からさらに3メールほどの凧糸が延びていた。
つまりその凧は3メートル上空しかあがらないことになる。

ぱっと見、それは凧には見えない。
凧と言えば凧だが、蠅取り紙にも見える。

三人で黙々と朝ご飯を食べた。
三郎は母が用意した農協の紙袋に凧を入れると、満足げに玄関に走った。

凧あげは二日後、運動場で行われたようだ。
風が強い日だった。
僕は見てないけど、窓際にいる友達が凧の様子を少し見たと言った。

「高かとこに八本くらい上がっとった。三年が作ったとは思えんかった」
「親が作ったんじゃにゃあや。三年がそげんとば作れるや」
 と別の友人。

三郎の凧はどうだったろうとふと思ったけど、少なくともその八本の中にいないことは確かだった。
上がったとしても三メールなのだから。

その帰りがけ、弟に結果を聞いた。
弟は口角泡を飛ばしながら、手真似で凧上げの顛末を語った。

「こぎゃんして上げたばってん、風んビューって来てくるくる回ってたい、ぶわーんち破れて、ばらばらになって落ちたとぞ」

けらけら笑った。

「それで、みんなどうした」
「腹かかえて笑いよった」

おかしかったけど、それ以上笑えなかった。
母のことを思い出したんだ。

あの凧が役に立たないことはわかっていた。
弟の話を聞いても納得がいく。
だけど、恥も外聞もなく三郎のためにあり合わせのもので何とかしようとした母を思うと、笑えない。

その日の夕飯のとき、三郎の口から凧あげの話が出るだろうと思っていたけど、三郎は好物のおでんとテレビのアニメに夢中で凧のことなんてどこかに飛んで行ったみたいだった。

夕飯の後、母が心配そうな目で僕に聞いてきた。

「今日凧あげやったろ。どげんだったか知っとるね」

「知らん。見とらんけん」

と答えた。僕の口からは言いにくい。
ここは三郎からきちんと話すべきだ。
凧を作ってくれた母に対して。

「三郎が話すと思う」

その日、結局三郎の口からは凧の話は出なかった。

その翌朝、布団の中で三郎が嬉しそうな顔をして言った。
目覚めたときはいつもフニャフニャしているのだが、その朝はやけに快活だった。

「兄ちゃん、夢ん中でね」
「うん」
「夢ん中で、母ちゃんの凧が高く高く飛んだとぞ!他の凧よりもっともっと高く飛んだとぞ」
 三郎は手を大きく上にあげて表現した。

「そげん夢見たとか。じゃあ、その通り母ちゃんに言え。高く高く飛んだと言え」
「うそば言うとや」
「うそじゃない。夢ん中では本当だろが」
「うん。わかった」

三郎は布団から飛び出ると、台所に走って行った。

三郎なりに凧のことをどう言おうかって悩んでいたのかもしれない。
でなければ凧の夢なんて見るわけがない。
昨日だって、言いたかったけど言えなかったんだろう。

カーテンを開けると、冬の快晴だった。
青空に、母の凧が一瞬見えた気がした。


凧.jpeg


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