雨上がり [感動]
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雨上がり。
一般的にこの言葉の響きはとても美しく、気分も晴々としてくるものですが、
わが家ではちょっと不快に聞こえます。
それは、父の折りたたみ傘の匂いのせいです。
部屋中にムワッとただようその傘の匂いは悪臭以外の何でもありません。
年の功なのか母はあまり深刻に受け止めていないようですが、17歳になったばかりの女子高生の私は生理的に受け付けられません。
タイミングが合えばベランダに干せますが、雨続きの場合など部屋の中に平気で干されるのです。それが苦痛で仕方ありません。
「居間じゃなくて別の部屋に干すからいいでしょ?」
と母が言いますが、そういう問題じゃありません。
父の傘がこのマンションの部屋のどこかに干してあると考えるだけで気分が悪くなるのです。
ちなみに父はジャンプ傘を持っていません。
折りたたみ傘一本の人です。
どんなに雨風が強くても、愛用(?)の折りたたみ傘でしのぐのです。
だいぶガタがきているようですが、差し方が上手なのか、なかなか壊れません。
今の傘はかれこれ7年ほど使っているのではないかと思います。
折りたたみ傘しか持たないのは、普通の傘の場合雨上がりにかさばるからです。
折りたたみ傘だと用が済んだら閉じてカバンの中に入れられます。
雨の朝、父は傘を差して駅まで行くと、構内を歩きながら傘の水を切って急いでたたみ、ビニール袋に入れてカバンにしまうそうです。
そして駅に着くとまた取り出して使い、会社に着いたらまたビニール袋に入れます。
こんな風に一本の折りたたみ傘を使い続ける父。
マメなのか面倒くさがりやなのかよくわかりません。
でも、ときどきビニール袋に入れたまま2日くらいそのままにしてることもあります。
その場合雑菌が面白いように増殖し、強烈な匂いを放ちます。
こまめに干したり、中性洗剤で洗ったりケアすれば匂いは抑えられるのですが、
そんなこと考えてもいないようです。
ある土曜日の午前中のことでした。
昨晩まで降っていた雨も上がり、朝から気持ちよい秋の風が吹いていました。台風が近づいていますが、今日は雨にならないという予報でした。
ふとベランダを見ると、家族三人の傘が並んで干してあります。
母が洗濯ものを干すときに一緒に並べたのでしょうね。
左から母のピンク、私のお気に入りのエメラルドグリーン、そして父の黒です。
−ちょっと待って。私の傘の横にお父さんの傘?・・・やめて−
母も私も昨晩から玄関の外に傘を出していましたが、
父は今朝になってカバンの中から傘を取り出したのです。
休日出勤で会社にいく直前でした。
「今日は雨にならないから傘置いて行くよ」
と母にその「汚物」を手渡したのです。
あの傘は大変なことになっていると思われます。
母はよくあの物体を素手でつかめるものだと不思議に思いました。
その父の傘の横に私の傘が並んでいます。
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やめてよ。
匂いが移るじゃない。
父の傘を干す場所を変えたい。
でも露骨には言いにくい。
私はあたりさわりのない理由を考えて母に提案しました。
「お父さんの傘さ、大きいし匂いもきついからもっと広々としたところで干した方がいいと思うんだけど」
「いいわよ、別の場所に移しても」
台所でキッチンを磨く母が、私の顔を見ずにそう答えました。
「じゃあそうするね」
「あ、ちょっと待って」
母がやっと私を見ました。
「傘と手すりを紐で結んでるから注意して」
母は接近してくる台風を気にしているのでした。
「午後から風が強くなるみたいなのよ」
「わかった」
ベランダに出ると、息を止めて父の傘の紐をとき、ベランダの隅っこに移動しました。
ストラップは面影もなく金具も残っておらず、通し穴がむなしくあいていました。
先端の石突のキャップは外れ、金属が剥きだしています。
親骨をささえる受骨が変形しています。
傘袋はどこに行ったのでしょう。
まあいいや。
横を向いて少し息継ぎをして、また呼吸を止めました。
隅っこだから風が吹いても動けないから飛ばされることはないだろうと思い、
紐で固定しませんでした。
それに、強風になる前に取り込めばいいのです。
お昼ご飯を済ませると、母はパートタイムの仕事に出かけて行きました。
「洗濯物と傘、早めに取り込んでね。風が来るからね」
「はあい」
私は食器を片付けて、勉強です。
試験が近いので頑張らないと。
家の中に一人しかいないので集中できました。
一心不乱という言葉がありますが、その言葉通りでした。
「あっ!しまった」
気が付くと、窓の外は強風です。
午後から一気に天候が急変したようです。
雨は降っていませんが、とにかく風がすごいです。
急いでベランダに行きました。
洗濯物たちは、まるで船の旗のように横にたなびいていました。
母と私の傘も、浮かんだり落下したり、まるで生きもののように騒いでいました。
急いで取り込みました。
洗濯物、傘ともに無事でした。
でも父の傘が見あたりません。
「しまったあ・・・飛んで行っちゃったかも!」
ここは6階です。
どこに飛んで行ったか見当もつきません。
外に出て探しました。
強風の中、長い髪を振り乱しながら、父の傘を探して歩きまわりました。
傘は2棟先のマンションの駐車場で見つかりました。
捜索開始から30分後のことです。
駐車場の金網に引っかかり、風にもがきながらガタガタ震えていました。
「よかった・・・いた」
臭いは既に消えていましたが、泥だらけでした。
水洗いしてもう一度干す必要がありそうです。
私は歩きながら傘を閉じました。
そのとき気づいたのですが、中軸が完全に元にもどらず、露先を微妙に収納できないのでした。
風で飛ばされてこうなったとは考えにくいので、以前からあった症状だと思いました。
−こんな傘使ってたなんて。7年も−
そう言えば以前母が言ったことがあります。
「志乃ちゃん私立行くから家計を切り詰めます。お父さんの経費は削減させていただきます。下着とか靴下とか」
傘なんて買ってもらえるわけがない。
下着すら買ってもらえないのだから。
お父さんのせいじゃない。
この傘の臭い。
「志乃がこんなことしてくれるとは思わなかったな」
と照れくさそうに笑う父。
今日は11月7日。
父の誕生日です。
貯めたお小遣いを取り崩して、父に折りたたみ傘をプレゼントしたのでした。
「初めてじゃないか?志乃からのプレゼント」
「大切に使ってね。それと、使ったら必ず中性洗剤で洗って太陽の下で干すこと」
「了解了解!」
雨上がり。
ベランダに傘が並んでいます。
左からピンク、エメラルドグリーン、そして新入りの紺です。
仲良く並んでいました。
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赤いランドセル [感動]
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娘の沙紀が結婚して家を出たので、娘の持ち物をすべて処分した。
遥か遠い国の男性に嫁ぎ、もう二度とここにもどらないと沙紀は言った。
だから残しておいてもしかたないので、何もかも捨てた。
沙紀の洋服、アクセサリー、靴、学習机、勉強道具、セーラー服、晴れ着、そして赤いランドセル。
これで沙紀の思い出はすべて消えてしまう。
これでいいのだ。
沙紀はこれで安心して遥か遠い国に旅立てるだろう。
そして私たちも、やっと沙紀を卒業できるだろう。
沙紀は幼稚園の年長さんになってすぐ、交通事故でこの世を去った。
横断歩道を手を上げて渡っていた沙紀に、ダンプカーが気づくのが遅れた。
運転手は事故当時も事故の後も誠意を持って対応してくれたが、沙紀は戻らなかった。
「お金も謝罪もいらない。とにかく沙紀を返してくれ!沙紀を返してくれたらそれでいい」
その25歳の青年に何度かみついたことか。
肩をつかんで揺さぶったことか。
でも沙紀は戻らなかった。
この世でもっとも大切なものを喪った日々が始まった。
妻はもともと明るく溌剌とした気性の持ち主だったが、沙紀が他界してからは、一人でつくねんとしていることが多かった。
私が会社から帰っても部屋は暗く、食事の用意もしていなかった。
沙紀のお気に入りのおもちゃを床に並べ、まばたきもせずそれらをぼんやり見ていた。
風呂に入らない。
食事もしない。
夜眠らない日もあった。
神経科に連れて行ったこともあるが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で、快復には時間がかかると言われた。
やがて秋になり、沙紀がこの世を去って半年がたった。
妻もほぼ普通の生活ができるようになっていた。
だがある日、奇妙なことを言ったのだ。
「あなた、そろそろ沙紀ちゃんのランドセル買わないとね」
私はそのまっすぐな視線をじっと視た。
今までずっと悲しみに明け暮れる日々だった。
それは娘という最愛の肉親を失ったからだ。
おのれの身を切り刻んでも余りある娘を失ったのだ。
無理もない。
その気持ちはよくわかる。
だがランドセルを買うのはどうか?
沙紀はもういないのだ。
ランドセルを買っても、それを背負って学校に行く沙紀はこの世にいないのだ。
「久仁子、気持ちは良くわかる。でもそれはどうかと思う。もうあれから半年もたった。そろそろ沙紀の死に区切りをつけようじゃないか。ランドセルを買っても辛いだけだ。悲しみが増すばかりだ」
私はほとんど哀願していた。
それは自分自身をいさめるための言葉だったかもしれない。
いつまでも過去をひきずってうじうじするのは良くない。
私たちはまだ若いし、これから子供を作ることも可能なのだから。
妻は冷めた目で笑った。
あれからそういう笑い方をすることがたまにある。
「沙紀ちゃんを忘れるなんて、私にはできません。よくできますね、あなた」
「忘れろと言っているわけじゃない。引きずるなと言いたい」
「むりです」
「だったらこれからも続けるのか?中学生になったらセーラー服を買うのか。二十歳になったら晴れ着をあつらえるのか?天国にいる沙紀もそんなことは望んでいない。父と母には前を見て生きてほしいと願っているはず」
「お願いします」
妻が涙を浮かべて合掌した。
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「お願い。沙紀も小学生になるのを楽しみにしていたの。今回だけでいいから。ランドセルだけでいいから」
その週末、新宿の百貨店で赤いランドセルを買った。
ついでに学習机も買った。
すると不思議なことに妻の精神状態は今まで以上に安定したのだ。
妻は昼間、ランドセルを押し入れにしまうらしい。
昼間は学校にいって不在だからだ。
そして夕方になると、机の上に置く。
「今ね、お友達のおうちにお呼ばれなの」
夜になると
「今ね、お風呂なの」
「沙紀、すやすや寝てるわ」
と、沙紀がいない理由を自分に言い聞かせているようだった。
あっという間に6年が過ぎた。
妻は毎日その芝居を励行した。
そして小学校を卒業すると、予想した通りセーラー服を買ってきて、壁ににかけた。
約束を無視し、これからも続ける気でいる。
しかし私も妻が理解できるようになっていた。
妻の頑なな態度で気づかされたのだ。
沙紀のことを忘れる必要はないのだと。
そもそも死んだと考える必要もないのだと。
今でも生きて一緒に暮らしていると思えばいいのだと。
悲しみから逃れる方法は忘れることだけじゃない。
その逆もあり得るのではないか。
今でも生きていると信じることで、悲しみから逃れることもできるのではないか。
妻は悲しみの末にその方法を見つけだし、この6年間実践してきたのだ。
私も妻に同調した。
子どもはできそうになかったので、養育費に使うお金を幻の沙紀のためにつぎ込んだ。
成長に合わせて様々なものを買いそろえた。
お洒落なワンピースやブラウス、コート、靴、ハンドバッグ、アクセサリー、晴れ着に至るまで購入し、服はドレッサーに入れた。
靴は夜中になると出してきて玄関に揃え、朝になると靴箱にしまった。
大学卒業時には袴をレンタルした。
「いよいよ卒業ね、よく勉強したわ。首席だもんね」
「お父さんには内緒よ。今日表彰されるからびっくりするわ、きっと」
そんな自演の会話を聞いていると、本当に沙紀がいるような気になる。
そして沙紀が28歳になった秋。
私たち夫婦も覚悟はできていた。
私も還暦を迎え、妻も58歳になり、心の整理もついていた。
レンタルしたウエディングドレスが壁にかかっていた。
「すばらしかったわね、沙紀の結婚式」
「長い道のりだったな。やっと一人前になったんだな」
「安心して送り出せますわね・・・・あなた、泣かないって約束でしょう?」
私は涙をふいた。
沙紀を失った悲しみ。
幻の沙紀が幸福になる喜び。
幻の沙紀がこの家を去っていく寂しさ。
そして二人の芝居が終わってしまう悲しみ。
そんな様々な感情が複雑にからみあった涙だった。
私は鼻をすすって気持ちを整えた。
「外国人と結婚するなんて夢にも思わなかったな」
「遠い遠い国に行くそうです。もう日本には戻らないと言ってました」
親としての役目を終えた気になった。
沙紀を育て上げた気になった。
沙紀はやっと私たちのもとを離れたのだ。
そして私たちも沙紀から離れたのだ。
「沙紀、旅立ったのね」
悲しさと嬉しさが仲良く混じった母の涙を私は見た。
本当に娘を嫁がせた母に見えた。
「これからは二人でのんびりくらそうな」
「はい。そうしましょう」
悲しみは消えるだろう。
そして安らぎだけが残るだろう。
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小さな手 [感動]
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金曜日。
一週間がやっと終わり、帰宅する。
会社員にとってふっと心の縛りを緩める時。
私も50歳になりサラリーマン経験も長く幾度となく週末を迎えたが、金曜日のこの瞬間は、何度味わっても格別だ。
5日間も会社で仕事すれば、多かれ少なかれ疲労するしストレスもたまる。聞きたくもない声を聞き、見たくもないものを見ながら歯を食いしばって自身の仕事に没頭する。
金曜の夜から日曜にかけて、サラリーマンはその苦痛から解放される。かりそめの時間に過ぎないが、みんなそれぞれのやり方で心身をリフレッシュする。
今日は給料日なので、お小遣いが3万円もらえる。
今、財布には5千円入っている。
千円くらい無駄遣いしてもいいかなとふと思い、立ち飲み屋に寄っていこうと考えた。
駅の改札を出て階段を降り線路沿いを進むと立ち飲み屋がある。
焼き鳥5本とビール中ジョッキ2杯で950円である。
安くて美味いから会社帰りのサラリーマンでいつも満杯だ。
最近はOLさんも見かける。
あの店に行こう。
改札を出て、まっすぐ進んだ。
だが階段を降りようとしたとき、綺麗なメロディが風にのって聞こえてきた。
チェンバロのような可憐なキーボードと透き通るような声だった。
メロディは緩やかで、今の自分の心の琴線にふれるものがあった。
階段を下りず、ペデストリアンデッキをまっすぐ進んだ。
女性がキーボードを弾きながら歌っていた。
痩身で背が高く、夜なのにサングラスをかけている。
雰囲気から20代後半だろうか。
♪
小さな手の力 とりもどしたい
小さな手のいのち 感じてみたい
どこにいったの? 私の小さな手
♪
サビの部分らしく、このフレーズを二度繰り返して曲が終わった。
聞いたことのない曲だった。
足を止めて聴いている人は2,3人だった。
彼女の足元に箱があり、
「オリジナル曲のCDさしあげます」
と書いてある。
もう一度最初から聞いてみたいと思った。
もう歌わないのだろうか。
そんなに音楽好きな方ではないが、そのメロディには惹きつけられた。
「ありがとうございました」
丁寧におじぎをした。
−もう終わりか?−
そばに近寄って聞いてみた。
「今日はもう、終わりなのですか」
彼女は最初空を見た。
そしてゆっくりと私のほうに顔を向けてえくぼを作った。
もしかしたら目が不自由なのかもしれないと直感的に思った。
しぐさからして全盲か、それに限りなく近いかもしれない。
「すいません。今日はもう、おしまいです」
「いつもここで歌ってた?」
「いえ。今日が最初です」
「今度いつ来るの」
「わかりません・・・・あまり反応良くなかったし」
「そんなことない。とてもいい曲だったよ」
「ありがとうございます」
「歌手目指してるの?」
「いえ。そんなつもりじゃ」
CDは10枚ほどあった。
ここまで話をしておいて手ぶらで帰るわけにはいかない。
もう二度と耳にできない曲かもしれないし、一枚もらうことにした。
「一枚もらってもいいかな」
「どうぞ。ありがとうございます」
「もらうのは心苦しいな。買おうか?」
「いえ。これで商売するつもりはないので」
一枚もらった。
彼女は手探りでキーボードの電源を切った。
やはり目が不自由だった。
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私は何も言わずに去った。
彼女が電話をかけたからだ。
相手は家族か友人か。
機材を片づけるのに人手がいるのだろう。
立ち飲み屋にはいかなかった。今晩あの店で酒を飲んだら彼女に悪いような気がした。
すぐに家に帰って聴いてあげたいと思った。
CDのタイトルは「小さな手」だった。
歌詞集と、簡単な自己紹介が書かれたリーフレットが入っていた。
=====================================
CDもらってくださりありがとうございます。
美雪と申します。
オリジナル曲が5曲入っています。
稚拙な曲ですが、お楽しみください。
私は子供の頃、網膜色素変性症という目の病に罹りました。
根本的な治療方法がなく、徐々に視力が失われていく難病です。
今ではもう、何も見えません。
でも最近、心の中に火が点るようになりました。
以前は音楽なんてやったこともないのですが、
急に音楽が浮かぶようになったのです。
この「小さな手」は、心の暗闇の中にふわっと浮かんだきたメロディです。
そのメロディに歌詞を付けました。
私、目が見えなくなる時、ああ、もうこれが最後かもしれないと思ったとき、自分の手をじっと見ました。一番忘れたくなかったのが自分の手だったのです。そのときの思いを詞にしました。
これからも音楽活動を続けていきたいと思います。
応援してください。
(代筆:妹の小百合)
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タイトル曲「小さな手」の歌詞を載せておく。
♪
もしも神様がいるのなら お願い
私の小さな手 とりもどしたい
泣きたいあの日 小さな手で母にすがった
うれしいあの日 小さな手で父に飛び乗った
小さな手のねがい かなえてあげたい
小さな手の気持ち 思いだしたい
どこにいったの? 私の小さな手
♪
もしも神様がいるのなら お願い
私の小さな手 とりもどしたい
熱いおひさま 小さな手が赤く透き通った
雪のひとひら 小さな手に吸いこまれていった
小さな手の力 とりもどしたい
小さな手のいのち 感じてみたい
どこにいったの? 私の小さな手
♪
・・・・・・。
目が見えなくなるというのはどういう感覚なのだろうか。
しかも徐々に、静かに、光が消えるように。
見えていたものが見えなくなる。
世界が暗黒に支配される。
私ならどんな感覚になるだろう。
それははかりしれない恐怖をともないそうな気がする。
もしかしたら「死」と同じレベルの恐怖ではないか。
私には耐えられない。
私の一週間のストレスなど、彼女の苦悩の足元にも及ぶまい。
千円無駄遣いして酒飲んで帰ろうなんて考えている男に、この詞の本当の意味がわかるだろうか。
「とてもいい曲だったよ」
なんて口にすること自体おこがましい気もする。
せめて祈ろう。
彼女が健常者では絶対に持てない心の目を開き、
音楽を通して多くの幸福を得てくれることを祈ろう。
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