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最後のお中元 [感動]







私が中学生の頃、
父、母、私、そして母方の祖母の4人で
母方の実家で暮らしていました。

祖母は90歳近く、脚が弱り、一日の大半を寝て過ごしていました。

私の母は4人兄妹の長女であるため、自ずと祖母の面倒を見ることとなり、
母の実家へ私が小学校5年生の頃に引っ越しました。

祖母は少し痴呆症があり、時々母を「お母さん」と呼んでいました。
仕事で遅くなる父のことは日に日に認識できる時間が少なくなり、
私は自分の子であると認識をしているようでした。


母は近所のスーパーでアルバイトをしていましたが、
祖母の介護が必要になったため、パートをやめ、
一日の大半を家の中で祖母と過ごしました。


学校から私が帰ると、母は少しの間自由になります。
買い物に出かけ、喫茶店で少し自分の時間を作る。
介護から開放されるその1時間程度の時間が、母に正気を保たせていました。


中学校を卒業する頃になると、祖母の状態は悪くなり、
一人での歩行は困難になっていました。
成人用介護パンツをつけ、排泄も手助けが必要になりました。


母をわかることはほぼなく、お母さん、とずっと呼んでいました。
父は、同居をしている人、と思っていたようで、私はその人が連れている子供のようでした。


ある夏の暑い日、
祖母は薄い浴衣の寝巻きを羽織ったまま、交通事故に遭いこの世を去りました。

その日は少し記憶が定かだったようで、母を自分の子として認識し、
朝から庭に出て花を愛でていたそうです。

母は安心し、また、日ごろの疲れもあったせいで居眠りをしてしまいました。

家の前を救急車のサイレンがけたたましく駆け抜けた音で母は目を覚ましました。
かぶった覚えの無いブランケットが肩にかかっていました。
見回すと祖母の姿はなく、
何かが起こったと直感で思ったそうです。


あわてて飛び出した母は、家から数メートルの場所で担架で運ばれている祖母を見つけました。










病院に運ばれましたが祖母は頭を強く打っており、ほぼ即死でした。

通夜には近所の人が次々とやってきました。

憔悴しきった母に一人の女性が話しかけました。
その人は、近所の酒屋さんで、スーパーがなかった昔からお酒はもちろん醤油やみりんを
購入する古い付き合いのご近所さんでした。

そして酒屋さんは、静かにあの日の様子を話し出しました。
祖母はあの日、戻った記憶に従い、
お酒好きの父のため、お中元を買いに酒屋へ行ったそうです。


酒屋はびっくりしたものの、しっかりした口調の祖母が、
家へビールの中瓶をケースで送るように、
と指示をしたそうでした。

会計も済ませ、覚束ない脚で祖母は店を出ました。


店先で祖母を見送り、一度は店内に入ったものの、
心配になり家まで送ろうと酒屋の店主が店を出た時には
祖母は血まみれで倒れていたそうです。


酒屋は申し訳ない、と何度も父と母に頭を下げました。


父はどうしてよいのかわからない、といった様子で頭を抱え
その場に崩れ落ちました。

母は、その父を支えていました。



葬儀が終わり数日たつと
悲しみよりも日常の平然が勝りました。
家族3人で囲む食卓は、以外にも笑みがこぼれました。
父は祖母からのビールを1日1本空けて、ゆっくりと味わっていました。

今でも酒屋の前を通るとその話を思い出します。

祖母は、父にずっと気を使っていたのだな、と少し切なくもなります。
そういえば祖母はお酒を飲んだのだろうか、
私は知らないですが、
昨年旅立った父と天国で乾杯してればいいな、
と私もビールを開けるのです。


瓶ビール.JPG









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