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プチカウンセラーYちゃん [感動]

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私の知人のYちゃんはいつも明るく朗らかで、誰からも好かれるような人です。

そのYちゃんと居ると私はいつもとても居心地が良く、どんな話も親身になって聞いてくれる様子に、勝手に「プチカウンセラー」というあだ名をつけたりしていました。
本当に、彼女に話を聞いてもらうだけで心がなんだかスッと軽くなり、すんなり解決に向かうような安心感を得ることが出来るのです。
同じ年齢なのにこの落ち着きと大きさ、信頼感…。
どうやったらこんな人になれるんだろうと、いわば私のひそかな憧れでもあったのです。


Yちゃんとの出会いは社会人になってから参加したバーベキュー大会でのことでした。
知人が知人を誘って、というフランクな集まりで、初対面でも気楽に話が出来るような雰囲気ではあったのですが、もともと人見知りの私はどうしても端っこのほうでみんなの様子を眺めていたり、手持ち無沙汰になってしまっていました。
そんな私に声をかけてくれたのがYちゃんだったのです。
無理に人の輪の中に引っ張っていくわけでもなく、自然と周りとの架け橋になってくれたYちゃん。
すぐに大好きになってしまった私は他の男性の連絡先よりもまずYちゃんの連絡先をゲッドし、そこから交流を深めていったのでした。


私にとってはまるで陽だまりのような、たんぽぽのようなYちゃん。
そんな彼女が、こないだふと、以前自分がどんな風だったかを教えてくれました。
今の彼女からは想像も出来ないような打ち明け話を。


実は彼女は、両親と弟を交通事故で一気に亡くしてしまっています。
親戚の家で高校卒業までお世話になっていたのだそうですが、まったく笑わず誰とも関わらず、極力いろんなことに関心を持たないようにしながらすごしたのだそうです。
生きている人、生きている動物はいつか死んでしまうから、その時にまた大切なものを失うような思いをするなら、いっそ生き物とは関わらないようにしようと心に決めたのだそうです。
今の彼女とはまるで別人のその様子を、どうしても私は想像することが出来ませんでした。
それでも、家族を一瞬で失ってしまったという衝撃が彼女の人格を変えてしまったのだと思うと、神様を責めずにはいられません。
まだ高校生だったYちゃんが、自分の心が完全に壊れてしまわないようにととった苦肉の策だったのでしょう。
一番友達と遊びたい、色々なことをしてみたい年頃です。
自由を奪われたことも同じではないでしょうか。
今の私ならどうやって乗り越えたか、それすらも思いつかないほどです。


それでも、親しくなることが怖い、いずれくる別れが怖いという思いは日に日に彼女の心の中で大きくなっていったのです。
それが笑顔を奪い、代わりに能面のような表情を貼り付けたのです。

そんな彼女に、周りもどう接したらいいか分からなくなるのは仕方のないことかもしれません。
なんとか笑わせよう、以前のYちゃんに戻してあげようとしていた友人たちも、まるで腫れ物を扱うかのように距離を置き始めたのだそうです。
それがYちゃんには逆にありがたかったのだとか。

それを聞いて、とてもいたたまれない想いがします。


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月日が流れて卒業シーズンを迎えました。
皆次々と進路や就職先を見つけ、Yちゃんもなんとか地元の会社に就職が決まりました。
皆が思い出作りをしている雰囲気を遠巻きに眺めながら、卒業を家族と一緒に祝えないことを思うとどうしても涙が出そうになります。
こんなはずじゃなかったという思いを常に抱えながら、それでもテレビを見て笑いそうになってしまったこともあるそうです。
そんな時は、自分で自分の頬を殴っていたYちゃん。
なぜそこまでして…。
私が当時のYちゃんのそばに居たら、そんなことはさせなかったのにと思うと、無性に自分の無力さに腹が立つ思いです。


卒業式を翌日に控え、最後の担任の先生のホームルームも淡々と受けていたYちゃん。
そのYちゃんが、急に先生に前へ出るように促されたのだそうです。
訳もわからぬままに進み出たYちゃん。
すると、端の席から順番に生徒がYちゃんのもとにやってきて、一本の花を手渡していったのです。
ある人は一言添えて、またある人は握手をして。
変顔を披露する子もいたそうです。
泣いている女子がほとんどでした。
何も言えずに震える手で花を寄越してくれる子が何人もいたそうです。
その時に、Yちゃんは気付きました。
自分は皆と距離をとって、笑わない、関わらないようにしていたけど、そうすることでこんなにもたくさんの人を傷つけていたのだということに。
抱えきれないほどの花束の形になったみんなからの一輪一輪が、傷つけた人の数なんだということに気付いたのです。

涙が流れ、うずくまってしまったYちゃんに、先生はこう言いました。

「涙が流せるようになった、明日はきっと笑えるようになる。」と。

その「明日」、卒業式に、Yちゃんは久しぶりに笑顔でその場に居ました。
自分が笑うことで、こんなにもたくさんの人が同じように笑ってくれるんだということが、今までの抱えていた痛みを少しずつ和らげていってくれるようでした。


その卒業式を境に、Yちゃんはちょっとずつちょっとずつ、今のYちゃんという自分を創り上げていったのです。
想像も出来ない痛み、そしてその痛みを取り去るほどの暖かさ。
その両方を経験したYちゃんだからこそ、私の「プチカウンセラー」なのでしょう。

彼女の笑顔に、今までにはない強さをもみたような気がします。


タンポポ.jpg


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