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陽だまりの中で [感動]

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転校先は横浜の保土ヶ谷にある小学校でした。
五回目の転校です。

その学校でも、別にいじめられたわけではありませんが、私は孤立していました。自分と周囲には常に高い壁があって、とても小学校四年生の小さな心では乗り越えられないものだったと記憶しています。

父が地方転勤の多い仕事に就いているせいもあり、転校が多いのも影響していました。一年生の頃から転校を繰り返し、一年と同じ学校にいたことがありません。もちろん友だちなんてできません。いつしか私は友だちの作り方とか、つきあい方を知らない女の子になっていたと思います。毎日学校に行くのがつらくて仕方ありませんでした。

父も母も活発で芯の強い人でした。瑣事にこだわらず、常に前を向いていて、いつも私と少し離れたところで生きているように思えました。ときどき親との距離が遠いのか近いのか確かめるために、親を困らせるようなことをしたこともあります。

私は登校班からこっそり離れて、郵便局の駐車場の車止めに腰を下ろして本を読んでいたのです。親に見つかるのは時間の問題でした。というより、見つけられたいと思っていたのでしょうね。郵便局の時計を見ると午前8時10分。そろそろかなって思いました。学校からも家に電話が行っているはずです。

「由希ちゃん、こんなところで何してんの!先生から電話がかかってきたのよ!」 

母はあわてながら、そう怒鳴りつけました。

不思議と涙は出ませんでした。

「ここで本を読んでいたの。学校に行ったら続きが読めなくなるから」

なんて適当ないいわけをしたのですが、母はそれを真に受けて

「学校から帰ったら読めばいいじゃない」

なんて私の本意を理解しようともしなかったので、泣く気が失せたのです。どうして学校行きたくないの?なんて聞かれたら、わんわん泣いたでしょうね。

その日は母につれられて学校に行きました。
みんなは静かな目で私を迎えました。

戸塚に母方のおばあちゃんが住んでいるのですが、そのおばあちゃんが近所の総合病院に入院したらしく、ある日母と二人でお見舞いに行きました。私は小さい頃何度か会ったことがあるそうですが記憶はまったくありません。

「由希子ちゃん、覚えてる?」

ベッドの上で半身だけ起こしたおばあちゃんが微笑みました。柔らかな笑顔でした。ほとんど初対面でしたし、こういうとき何といえばいいのかもわかりませんでしたから、私はただ微笑むだけでした。



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「この子人見知りするんだよね」

と母が花瓶に花を活けています。

「そんなことないよねえ?・・・ほんといいお姉さんになっちゃって」

透き通るような優しい瞳でした。
見ていると吸い込まれそうでした。

母は週に一度くらい、おばあちゃんの病院に出かけているみたいで、私もたまに一緒に行くようになりました。

昼過ぎに行くと、いつもおばあちゃんの膝のあたりに陽だまりができていました。その光がおばあちゃんの一部であるかのように見えたりし、とても温かいものがそこにいる、という感じでした。おばあちゃんと一緒にいると、私もいろんなことを口にできるようになりました。

「学校楽しいかい?・・・たくさん友だちいるんだろうねえ」
「あんまりいない。学校も楽しくない。でも本を読むのは好き」
「そうかいそうかい。本が好きかい。読書はいいことだよ。たくさん本を読みなさいね」

「おばあちゃんは学校楽しかった?」

こんな優しいおばあちゃんのことです。きっと子供の頃、楽しい学校生活を送っていたことでしょうね。でも、本音では学校は嫌いだったと答えてくれることを期待していました。
おばあちゃんは少し表情を変えてこういいました。

「戦争でね、いつ死ぬかわからなかったのよ。学校になんか行ったことなかった。いつも逃げ回ってた。生きるため。ただ生きるために毎日必死だったのよ・・・」

予想もしない異質な言葉に返す言葉がありませんでした。

戦争という言葉は聞いたことがありますが、教科書に載っている程度の知識しかなく、ぴんと来ません。ですからその日おばあちゃんが話してくれた戦争の話はほとんど記憶に残っていません。でも、この言葉だけは今でも脳裏に焼きついています。

「生きていられることを幸せと思わないとね」

四年生の私には理解できない言葉でした。でも、時折その言葉を口ずさんだのと覚えています。深い意味はわかりませんが、何か心にしみるものがありました。

中学に入ると、父親の転勤も少なくなり、ようやく私にも友だちといえる人ができました。それから受験、恋愛、就職と平凡な人生を歩いてきました。

今では結婚し、毎日子育てで大変です。因縁でしょうか、夫が転勤族で、数年おきに地方を転々とする生活をしています。親しい友人もできず、ある意味あのときと同じように孤独なのかもしれません。でも、昔のように深く考えなくなりましたし、周囲との壁もなくなりました。孤独もまた楽しいものだと考えるようにしています。

ときどき陽だまりを見つけて寛ぐことがあります。すると、あの頃のいろんなできごとがよみがえります。光を見ていると、自分の過去を寛容な気持ちで思い出すことができるようです。

「生きていられることを幸せと思わないとね」

まだまだそんなレベルじゃないかもしれません。
でも陽だまりの中にいると、今は亡きおばあちゃんに少しだけ近づいているような気もしてきます。将来自分の孫に対して同じことを言ってあげられそうな気になるのです。


ベッド.jpg


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