学級委員長 [感動]
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人生というものはちょっとしたきっかけで大きく変わるものですね。
僕は吃音でした。
国語の時間、教科書をみんなの前で読ませられるのが最高に苦痛でした。みんながすらすら活字を音にし、一定の音読リズムが教室内にできあがる中、僕の番に来ると、そのリズムがとたんに壊れるのです。
教室内に何が起きると思いますか?
爆笑です。
先生までもがくすっと笑ったりしました。
当然、こういった習癖を持つ少年は自分と外界との間に一定の距離を置くようになります。なるべく言葉を使わないようにするため内向的になり、決して人前に出て行こうとはせず、心を許せる友だちも限られていきます。
小学校を卒業すると父の仕事の都合で他県に転居し、見知った人が誰もいない中学校に入学しました。
−ここにいる生徒は全員、僕の吃音を知らない−
これはとても安らかな気分でしたが、同時に強い不安をもたらしました。
吃音者だとばれるのは時間の問題だったからです。
みんなと同じ存在でいられたのはほんの数日でした。
国語の音読をきっかけに、僕の吃音は人の知るところとなりました。
僕が何かをしゃべろうとすると、みんなが好奇な目で僕を見ました。
僕の新しい学校生活は、また小学校時代に逆戻りしました。
友だちもできず、心を閉ざしました。
ある日母が急病で寝込み、弁当を持参できなかったので昼を抜いた日がありました。三時頃下校すると、ファストフードでハンバーガーを買い、少し離れた公園で遅い昼食をとりました。
野良猫がこっちを見ていました。ハンバーガーが気になるのでしょうか。そばに近づいてみました。人に慣れているのか微動だにしませんでした。
−この猫は僕の吃音を知らない−
また安堵感が来ました。
まして相手は猫ですから、私がどもろうがどうしようが無関心なはずです。そう考えると奇妙な親近感がわき、ハンバーガーを半分猫にあげました。猫は小さな口でちゃぷちゃぷと音を立てながら美味しそうに食べました。そのとき真の友だちのそばにいるような気になったのを覚えています。
僕のそんな生活に強烈な転機が訪れたのは二年生になってからでした。
クラス替えされた新学期二日目、学級委員長の選考がありました。
「自薦他薦どちらでもOK!」
僕は先生の生きいきした目を無関心な目で見ていました。
学級委員長の選考会。
吃音者とこれほど無縁な世界も他にありません。
ところがです。
一年生のとき同じクラスだった有田佐和子という女子が
「石木君がいいと思います」
と推薦したのです。
これには驚きました。なぜ僕を・・・?
唾を何度も飲み込み、過呼吸を繰り返しました。
ほかにも何人か候補が挙げられ、黒板には僕を含めて2〜3名の名前が並んだと思います。
それから投票が行われました。
心配には及ばない。
誰も僕がいいとは思わない。
票は確実に吃音者以外に流れる。
ところが。
結果を疑いました。
選ばれたのは僕でした。
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考えてみたらクラス替えをしたせいで、僕の吃音を知らない生徒が多く混じっていたのです。推薦されたら選ばれるリスクが十分にあったのです。
でもなぜ佐和子は僕を推薦したんだろう。
僕の吃音を知っているくせに。
学級委員長なんてできるわけないのを百も承知してるはずなのに。
なぜそんな軽挙妄動に走ったんだ?
でも佐和子を恨む気持ちは不思議にわきませんでした。
そんなことどうでもよかったのです。
不安と恐怖の中にいたのです。
これからどうしよう・・・。
思いはそれだけでした。
登下校中、ときどき立ち止まって考え込み、大きなため息をつきました。
目の前が真っ暗でした。
学級委員長ですから、人前に出て何かをしゃべることは当たり前で、それができないと物事が進まないことが多いです。
僕はみんなの前で激しくどもりました。
みんなしんとして、たがいに目を向け合っています。
いやな予感がしました。
そしてその予感通り、笑いが起こりました。
絶望とはこのことでした。
毎日、つらくてしかたありませんでした。
ストレスもたまりました。
ある朝のホームルームのことです。
僕がみんなの前て言葉を発しようとしたそのとき、一番前にいた男子が、
「どもり君、どもらないでね」
といったのです。するとどっと笑いが起きました。
その瞬間、強烈な怒りがわき起こりました。
言葉は力強く、そしてすらすらと出ました。
「僕はどもりだ!でも一生懸命やってる!がんばってる!」
吃音者でも、時と場合によっては堰をきったようにすらすら言葉が出てくることがあります。強い怒りがそうさせたのかもしれません。
それからクラスのみんなは僕を笑うことをしなくなりました。
僕も少しずつ学級委員長に慣れて行きました。
ある日先生からこんなことをこっそりいわれました。
「石木君、よくやってるな。個人日誌を読んでると、みんな君を信頼してるみたいだぞ。あと少しだからがんばれ」
励まされました。
−みんな君を信頼してるみたいだぞ−
どもりの僕でも人から信頼されるのか。
感激しました。
任期の終わりがせまったある冬の日、佐和子と話す機会がありました。僕を推薦した彼女でしたが、それまでほとんど口をきいていませんでした。僕との接点が何もない女子だったのです。
「なぜ僕を推薦したの?」
佐和子はすぐに明るく答えました。
「石木くん、心が綺麗だから。猫に自分のお昼ご飯あげるなんて」
あの日佐和子に見られていたとは知りませんでした。
「大袈裟な。猫に餌あげただけだよ」
「誰にでもできることじゃない。心が純粋でないとできない」
どもりの僕をそんな風に見ることができるなんて、なんて優しい子だろうと思いました。
その学級委員長の体験がその後の僕に及ぼした影響ははかりしれません。それからいろいろ辛いこともありましたが、あの学級委員長の悲劇に比べたらこんなもの!と乗り越えることができたのです。
大人になると、ほぼ吃音が消えました。
今では人前でスピーチするのがむしろ得意にさえなっています。
「君が僕を学級委員長に推薦したんだぞ」
「そんなことあったかしら。忘れたわ」
「僕はどもりだったんだ」
「本当?そんな名残少しもないからわからない」
彼女が忘れるわけがありません。
僕を気遣ってそういってくれたんだと思いました。
それが妻・佐和子の優しさなんだろうなと改めて思いました。
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