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大切なお父さんに出会った日 [感動]

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私はお父さんの気持ちをまじめに考えていなかったかもしれません。
その存在を真っ向から感じていなかったかもしれません。
それが少し悔やまれます。

夜遅く会社から帰ってくると、
「ただいま」
といって静かにお風呂に入り、お母さんが用意した夕飯を一人で食べ、
ビールを飲みます。お母さんは雑事で忙しいので、いっしょにテーブルに座って
相手をするようなことはほとんどありません。テーブルの横を右へ左へ歩きながら
断片的な会話をするだけです。

「もっと食べる?イカフライ」
「いや、今日はあまり食欲ないから」

お父さんはときどきテレビ画面に目を向けて気になるニュースをチェックしますが、
あとはもさもさと口を動かしビールをすすりながら新聞を読んでいます。

私立の女子高に通う私は試験勉強で忙しく宿題もたくさんあるので
その時間帯は居間の隣の部屋で勉強です。

「お父さんお帰りなさい」
「ああ、ただいま」

一息入れにテレビの前に来ると、お父さんはソファで文庫本を読みながらウイスキーを
飲んでいます。テレビの前にいるくせにテレビは見ていません。

私が隣に座ると、ああ、もうこんな時間か、みたいな顔をして、栞を本に挟みます。
いつもだいたい23時すぎに休憩をとるので、私が時計代わりになっているのだと思います。

「美鈴、勉強大変か」
「けっこうね」
「肩揉んであげようか」
「じゃあちょっとお願い」

お父さんの肩揉みは上手なのか下手なのかわかりません。
ただ指の力が強いだけなのかもしれません。
肩の壺に一気に迫ります。

「痛っ・・・もういい、もういい」
「じゃあ寝るから。勉強無理すんなよ」
「今無理しないとあとで後悔するから」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 あくびしながら寝室に行く静かな背中。
 
朝は誰よりも早く起きて自分でご飯食べて出かけるので、
私がお父さんを見かけるのは、夜のひとときだけです。

休日は基本、家族に予定を合わせてくれます。

買い物に行くことになると、車の運転をしてくれます。
重い荷物は積極的に持ってくれます。
何時まででも付き合ってくれます。

いつだったか郊外のアウトレットモールに出かけたときでした。
可愛いブラウスを探していた私は、お母さんと一緒にとある専門店に
入りました。

「お父さん、いっしょに来る?」
「いやいや。そこのベンチで待ってるよ」

店の前のベンチで、むこうを向いて座りました。

20分くらいそのお店にいたでしょうか。
これといったものが見つからず、他の店を探すことにしました。
人気店なのでお客さんが多く、人波に流されてお父さんから離れてしまいました。

「お父さんに声かけたほうがいいんじゃない」
と母にいいました。

「大丈夫じゃない?わざわざ移動してもらうのもね。あまり意味がないというか」
「そうね、そこにいてもむこうにいてもあんまりかわらないもんね」

お父さんは文庫本を読んでいます。

私とお母さんは別の店を数軒回り、またもとのお店に戻り、お父さんのベンチに
近寄りました。あれから50分ほどたっています。


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「時間かかったな。服は買ったのか」
「うん。ほら」

明らかに違うお店のロゴマークが入った買い物袋を見せると、
「ここはお客さんが多いから、買うのもひと苦労だな」
と微笑みました。

私はお母さんと目を合わせてくすっと笑いました。

5月の連休、つつじを見に行きました。
いたるところにつつじが咲く遊歩道があって、花好きにはたまらない公園でした。
陽光も風も爽やかで、ぜっこうの散策日和でした。

三人でお弁当を食べた後、ちょっと遠くまで歩いてみようと母がいいました。
その日は母もスニーカーとパンツルックではりきっています。

「お父さんはどうする?」
「ここで待ってるよ、荷物もあるしな。それに、最近ちょっと腰と背中が痛くて」
「毎日お疲れだもんね。ゆっくり休んでて」

とお父さんの背中にそっと触れると、母と一緒に歩きだしました。
お父さんお背中は汗ばんでいました。
しばらく歩いて振り向くと、いつもの文庫本を読んでいました。

一時間ほど歩きまわって戻ってくると、お父さんは空を見ていました。
閉じた文庫本を膝の上に置いて、寂しそうな目で空を見ていました。

「お父さん、どうしたの?」
 そう声をかけると笑顔が戻ります。

「ちょっと歩けば気分も変わるんじゃないかしら」
 とお母さん。

「人ごみが苦手だからね」

疲れているな、って思いました。
顔色もそんない良くなかったと記憶しています。

お父さんが胃がんになって入院することになったのは
それから2週間後のことでした。
胃の具合が悪くて病院で検査してもらったら、悪性の腫瘍が見つかったのです。
幸い初期のもので他臓器への転移もなく、手術で根治可能とのことでした。

これには私もお母さんも強いショックを受けました。
お父さんの存在が急に大きなものに見えたのです。
それはとてつもなく大切なものだったのです。
それはまるで空気のようにそこにあって、私たちは漫然とその恩恵に
すがっていました。当たり前のように。

ふだん私たちは空気を意識しないですよね。
当たり前のように呼吸しています。

でもその空気がなくなったらどうなりますか?
待っているのは死です。

入院して、精密検査待ちの父がベッドに横になっています。

「美鈴、お父さんにもしものことがあったら、母さんを頼んだぞ」

なんて弱気な顔をする父。
少し笑みが混じっているので冗談半分だとは思いますが、そこにいられなくなって
トイレに入って涙ぐみました。

お父さんが死ぬなんて、考えられない。
絶対生きていてほしい。
目立たなくていいから、特別なことしてくれなくていいから、一緒にブラウス選んでくれなくていいから、ウイスキー飲んで、文庫本読んでていいから、そばにいてほしい。
そばにいてくれたら、それだけでいい。

手術は成功しました。
日々元気を取り戻しています。
顔色も良くなりました。

退院してきたお父さんとどんなことしようか。

もう少し時間をかけて肩を揉んでもらいたいな、なんて考えています。


父親.jpeg


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