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水槽の住人 [感動]

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息子の翔が小学校5年生の頃の話です。

季節は夏の盛りでした。

近所の夏祭りの縁日で金魚すくいをやっていました。
ビニール製のプールの周囲には翔とほぼ同世代の子供たちが陣取り、
金魚を手に入れるために必死でした。
ヨーヨー釣りや射的とはまた違う独特の緊迫感がその一帯にただよっていました。

ある子は口を開けたまま、ある子は意味不明な言葉を口にしながら、
それぞれ独自のやり方で、狙った金魚を追いかけます。

見ていると、上手な子と下手な子に二分されているようです。
しかも後者が圧倒的に多いです。

上手な子は水に入れるタイミング、角度、水中での滞留時間をうまく計算しています。
一枚の紙で三匹ほど取っていく子もいます。

翔はしばらくその様子を見ていました。
そして私を見上げると、告白するような眼差してこういいました。

「ぼくもやってみたい」
「これやんの?金魚ほしいの?」

わが家では金魚を飼ったことがありません。
というか生きものを飼ったことがありません。
私も翔も生きものが嫌いではないですが、妻が苦手なのです。
虫や魚、鳥、猫、犬に至るまで毛嫌いするのです。

もし翔が金魚を獲得したらどうしよう、と一瞬ためらいました。
金魚をわが家に持ち込んだときの妻の表情が目に浮かぶようです。

でも他の子どもたちの様子を見ていると、そう簡単に取れるものでもなさそうです。
金魚すくい未経験の翔が成功する確率はほぼゼロに近いでしょう。
財布から参加費の100円を取り出すと、足を広げてデンと構えた人の良さそうな
おじさんに渡しました。

すでに子どもたちはまばらになっており、翔をふくめて2〜3人しかいませんでした。

水色のプールの中では、朱色の金魚が同じ方向にすいすい泳いでいます。
これを取るのは至難のわざだろうなと思いました。
私でも取る自信はありません。

案の定、翔は負けました。
金魚たちは、まともな勝負をさせてくれませんでした。
翔は一度も金魚をすくっていません。
水の中でむやみに紙を動かした結果、破れたのです。

残念な顔をする翔。

「帰ろうか、翔」

するとおじさんがニコッと笑って
「残念賞あげよう」
と金魚を一匹救うと、透明のビニール袋に水と一緒にいれました。

時間も押してきて少しでも金魚をさばいてしまいたいと思ったのでしょうか。
他の子供たちにも「残念賞」を授けていました。

金魚すくいをやったのも、金魚を持ち帰るのも生まれて初めての体験です。
その瞬間、童心に還ったのかもしれませんが、私も不思議な喜びを感じました。

妻も驚くだろうな、と思いました。
また別の意味で。

「金魚もらってきてどうすんの?」

 開口一番その言葉。そして予想通り困惑した顔。

「うち水槽ないのよ。餌もないわ・・・わかってるの?」

金魚すくいの「残念賞」を手に入れて凱旋帰宅したつもりの翔も、
母親の意外な反応に肩を落としていました。

「まあそういうなよ。明日買ってくるよ金魚グッズ。翔、明日買いに行こうな」
「金魚一匹のためにどれだけお金がかかるのかしら」

妻の気持ちもわかります。
私と翔は、金魚を持って帰った先のことを何も考えていませんでした。
それから先、どう飼っていけばよいのかなど頭にありませんでした。

翌日、小型の水槽と水草、砂、エアーポンプ、餌を買ってきました。
激安の量販店で買ったのですが、それでも全部で4千円ほどかかったと思います。

「水は水道水じゃだめらしいよ。本当は一週間ほど空気にさらしてから水槽に
入れた方がいいらしい」
 砂で遊ぶ翔にむかってそういいました。
「一週間も待てないよね」
「昨日もらってきた水を混ぜるか。そしたら多少はいいだろう」

ひと通り金魚が暮らす環境ができ上がり、その新居の住人を水槽の中に
放しました。金魚は戸惑いながらも、尾びれをせわしく振りながら、あちこち泳ぎ回りました。

餌をあげてみたり、エアーポンプの位置を変えてみたり、二人でしばらく水槽の中を
観察しました。


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それからネットで調べ、カルキ抜きの薬を使えば金魚によい水質をすぐに作れる
ことが分かりました。でもそのことに気づいたのはすでに夜中。
翌日は会社だったので、妻に頼むしかありませんでした。

「なんで私がそんなもの買いに行くわけ?」

最初は渋っていた妻も、それがないと金魚は死ぬかもしれないとわかると、OKしました。

「じゃあ、今日お願い」
「なんだっけ・・・カル・・・カル」
「カルキ抜きだ」

翌朝出社するとき念を押しました。

金魚との同居が始まりました。
わが家に生きものが加わったのはかつてなかったことです。

たぶんこうなるんじゃないかな、とは思いましたが、想像した通りになりました。
金魚の世話は妻の役目になりました。

翔はほぼ金魚への関心を失くしていました。
最初のうちは餌をがむしゃらに食べる様を物珍し気に見ていましたが、
だんだん水槽に近づかなくなりました。

私も平日は終日家にいないので、金魚と水槽の管理は自ずと妻に回ってきます。

「もう・・・だから嫌だったのよね。絶対こうなると思った。なんで私が金魚のお世話を
しなきゃいけないわけ?」

文句をいいたい気持ちはよくわかりますが、しかたのないことです。

「掃除は休日に僕がやるからいい。餌だけあげて、餌だけ」

そう宣言したはいいですが、私も翔のことを攻められない立場になりました。
水槽の掃除はなかなか厄介で、あまり積極的にはなれませんでした。

「結局掃除も私がやるのね」

金魚の世話はすべて妻の仕事になってしまいました。

翔も私も金魚への関心を失くしていきました。
妻も水槽が汚れてどうしようもなくなるまで放置し、必要最低限の手入れしかしなくなりました。
餌は毎朝、機械的に放り込むだけでした。
金魚は薄汚れた水の中で、与えられた餌をぱくぱくと機械的に口にしました。

家庭内別居ではないですが、家の中に水槽という赤の他人の住居があるようでした。

金魚に異変が起きたのは秋も深くなった頃です。

会社に妻からメールが来ました。

「金魚が大変。これ病気だわ」
「どうしたの。どんな風に変なの」
「お腹を上にむけてじっとしてる」
「死んでるの?」
「呼吸してるから、生きてる」

それから金魚のことが気になってしかたありませんでした。
まるで家族の一員が病にかかったような気になりました。

転覆病、という金魚の病気があるらしいです。
お腹を上に向け、まともに泳げず、餌も積極的には食べなくなりました。
エアポンプの振動でできた水流に身を任せ、ゆらゆら漂っているだけでした。
もはや金魚には見えませんでした。

妻はあらゆる努力をしたようです。
水を変えたり、水草を増やしたり、ペットショップのお兄さんに相談したり、
なんとか小さな命を回復させようと必死だったようです。
考えてみたら金魚に一番近いところにいたんですからね。

水槽を覗きこみ、お腹を上に向けてゆっくり口をぱくぱくさせる金魚を見つめ、
「よしよし、よしよし」
と子どもをあやすような声をかける妻でした。

金魚が死んだのはそれから一週間後です。

朝水槽を見ると、砂の上に静かに身を横たえていました。
ときどきゆらゆらとひれが揺れますが、それは水の流れによるものです。
金魚の命は、もうそこにはありません。

「だから嫌なのよね、生きものは。死んじゃうから」
少し涙を浮かべる妻。

「かわいそうに・・・金魚の知識がない人間に飼われて不幸だったわね」

翔は水槽の中を神妙な目でじっと見ていました。

金魚は水の生きものだから土に埋めるのでなく水葬がいいだろうということになって、
翔と一緒に近所の川に葬りました。

金魚はぽちゃんと音をたてて水に沈み、姿を消しました。

たとえ一匹のお祭り金魚でも、いったん飼ってしまえば情が移ってしまうことを知りました。関心がなくても、知らずしらず家族のようになっていくのですね。

「もう二度と生きものは飼わないからね」


生きものを毛嫌いする心理の底には、生きものに対する深い愛情があるのかもしれません。

からっぽになった水槽と金魚グッズはベランダに置いてありますが、
ときどき強めの風が吹くと、カッタンカタカタと愛嬌のある音を立てます。

その音を聞くと、あの金魚が楽しそうに遊んでいるような気になるから不思議です。


金魚.jpg


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