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サザエさん症候群を退治したおばあちゃんの一言 [感動]

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「また始まったか」

と父が言った。

日曜日の午後、母がスイカを切ったのだが、弟の幸彦が部屋にこもって出てこないのだった。

「さっき確認したけど、食べたくないって」
と僕はスイカに口をつけた。

「おばあちゃんどうかしらね」
 と母。
「面倒からくさいからいいよ。スイカなんか食べさせなくて」

と父がしかめっ面をした。最近祖母は痴呆気味になっていて、食事の仕方もおかしくなっていた。食欲旺盛で大量に食べるかと思いきや、食べ物の匂いを嗅いで「いやだいやだ」といって泣き出したりすることもある。

すると遠くから
「スイカなんかいらん。スイカは虫歯になる」
と祖母が言った。痴呆気味でも、耳は悪くなかった。

「何が虫歯だ。総入れ歯のくせに」
と父が小声で言うと、スイカにかぶりついた。 

結局スイカを食したのは父と母、そして僕の3人だけだった。
幸彦もスイカが好きなはずだが、日曜日だからしかたない。

「しょうがないな幸彦は。社会人にもなって」
 と父が種を手のひらに出して皿に移した。

幸彦は日曜日の午後になると、急に憂鬱になる。
原因はわかっている。
明日、つまり月曜日のことを考えて憂鬱になるのだ。

別に鬱病といえるほど深刻じゃない。
月〜金はけろりとしているし、日曜日も午前中までは穏やかだ。
でも午後になると、急に雲行きが怪しくなる。
ブルー度合いは時間とともに高まり、夜中にピークになる。
朝まで寝られないこともあるようだ。

幸彦にいったい何がおきているのか。

サザエさん症候群。

幸彦は自分の心の癖をそう説明する。
しかも重症なんだと。

サザエさん症候群とは、日曜日の国民的アニメ番組「サザエさん」のエンディングテーマの曲を聞くと、

「ああ、また明日から仕事(学校)だ」

とブルーになってしまう心の状態を言う。

だったらサザエさんを観なければいいじゃないかと思うかもしれないが、サザエさんを観なくてもこの症状は起きる。サザエさん症候群と呼んでいるのは、だいたい休日の終わりを実感する時間帯にこの曲が流れるからだ。しかもあの曲、長調の曲の割には「みなさんさようなら」的な曲想を持っているので、ますます寂しくなる。

休日の終わりが近づくと誰でも多かれ少なかれ寂しさを感じるものだが、その憂鬱感がとくに強く出る場合、この症候群にかかっていると言っていい。

幸彦がまさにその典型だ。
しかもかなり重いレベルだ。

しかしこの症候群、ひょんなことで快方にむかうものだということを幸彦を通じて知った。本当にひょんなことだった。

僕は26歳男性、弟は24歳の会社員。ともに親の元で暮らしている。
家も広いし、立地も板橋と都心に出るには都合が良く一人で暮らす必要もないので、兄弟そろって独立していない。
結婚まではここでやっかいになろうと思っていた。

学生の頃、幸彦にサザエさん症候群の性向はなかった。
社会人と学生とでは休日のありがたさが違うのかもしれないが、それにしても極端だった。

日曜の午後は、いつも沈んだ顔になった。
気晴らしの外出を進めても、どこに行っても面白くないし、すべてが平面に見えるという。

では自宅にいたら多少はましなのかというと違う。
ベッドで仰向けになり、じっと天井を見つめている。
ため息をついて寝返りをうつ。

頻繁に時計を見て、外の光を確かめる。
夏は日が長いからまだいいが、冬はつらいらしい。
日暮れはブルーな気分に拍車をかける。

「兄さん、どうしたらいい」

と助けを求められたことも一度や二度ではない。


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「どうやったら明るくなれるんだろう。普通に日曜の午後を過ごせるんだろう」
「スポーツでもしたらどうだ。かっと汗を流せば気持ちもすっきりするんじゃないか。体が疲労すれば、よけいな不安も消えるんじゃないか」
「僕がスポーツ音痴だってこと知ってるよね」

何をしても無駄なんだと思う。
心がそういう色になっている限り、表面だけつくろっても同じなのだ。

幸彦もそれなりの努力をした。

いっそ「会社」に行けば開きなおれるだろうと思い、日曜の午後、電車に乗って会社まで出かけていったりした。入り口まで行って引き返したが、そのとき火曜日に憂鬱なミーティングがあることを思い出してますますブルーになった。

昼間から酒を飲んでごまかそうとしたこともある。
しかし昼過ぎから夜まで寝てしまい、そのあと眠れずに朝まで悶々と過ごした。あの夜は最高につらかったと幸彦は言う。

「朝がせまるんだ。布団から出なければならない時間が刻一刻とせまるんだ。まだあと2時間あるなんて思っていたら、気がつくとあと30分前になっていたりする。恐怖だったな」

秋になった。

幸彦の日曜日の午後は、相変わらず暗いままだった。

ある日曜の夕方のことだった。
父の高熱が下がらずインフルエンザの可能性が高いので、休日診療の病院に行くことになった。母は幸彦に運転をお願いした。
だが断った。

「兄さんお願い。僕は今日、運転する気になれない」
「じゃあ、武彦運転して」
 と母が僕に言葉を投げつけた。
 幸彦への憤りを僕にぶつけたようだ。

僕が運転するのは全く問題ないが、幸彦の自分本位の態度に腹が立った。いつまで甘えた態度をとり続ける気なんだ。

「幸彦、いい加減大人になれよな。明日が会社くらいで、なんだその態度は!明日はくるさ。みんなに平等に明日はくるんだ。お前だけじゃない!」
 と強い口調で言った。

「兄さん」
 僕の意外な怒りに戸惑ったのだろう。
 泣きそうな顔をした。

 そのときだった、
 祖母がぽろりとこう口にしたのだ。

「明日のことは、明日になったら考える」
 みんな静かに祖母を見た。

 祖母は窓際の籐椅子に正座して丸くなっていた。

「明日にならんと、明日のことはわからん。花子が子ども産むかどうかわからん」
「花子って、誰」
 僕が聞いた。

「雌牛の花子は、戦(いくさ)が終わったら笑った」

 祖母は遠くを見ていた。
 話の意味はよくわからなかったが、戦争の記憶なのだろう。
 でも、その祖母の言葉が幸彦には効いたようだった。

「明日のことは、明日になって考える。明日にならないと、明日のことはわからない」

 幸彦はその言葉をくりかえしながら、引き出しから車のキーを取り出した。

完全ではないが、少しずつ幸彦の態度が変わった気がする。
日曜の午後、居間にいることも多くなったし、母の手伝いで買い物に出ることもあった。

「幸彦、今晩は刺身でビールでも飲むか」
 と父。
「そうだね、飲もうか」

日曜の午後の家族に明るさが戻った。
そのきっかけになったのが祖母というのが面白い。
意外に役に立つ存在だということがわかった。

そのせいか父も祖母をうやまって
「ばっちゃんも、さしみ食うか?」
と聞いた。

「さしみか。そうかそうか今日はお正月か。おめでたい」

家族全員、いっせいに笑った。


サザエさん.jpeg


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